『大日本史料』 3編 1 応徳3年11月~寛治4年雑載 p.325

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ト、本年七月九日、及ビ八月十九日ノ條ニ、義光、義家ニ應援ノ爲メ、陸奧, 圖フコト、應徳三年九月二十八日ノ條ニ、奧州合戰ノコトヲ議スルコ, 敵すてに滅亡して、殘黨悉く誅に伏す、其後解状を勒して奏聞、叡感尤太し、, 嘉名は朽る〓なし、源流廣く施して、今に至りて又彌新なり、古來の美歎、誰, は凶徒沒落の期、掌をさしてこれをしめす、仍て寛治五年十一月十四夜、大, ○義家、陸奧ニ赴任スルコト、永保三年九月是月ノ條ニ、武衡、家衡等ト, 略は、天性の才胸に蓄ふ、或は士卒甲臆の座計ことをもて人をはけまし、或, ニ下向スルコト、同年九月二十三日ノ條ニ、義家ノ陸奧守ヲ罷メ、基家, 俗呼てこれを八幡殿の後三年の軍と稱す、星霜は多くあらたまれとも、彼, に應して、大綱の小序を記すといふことしかり、, 家攻金澤城、鎌倉平景政先登爲鳥海彌三郎射左眼、語人曰、不報其仇、則爰抽, ヲ以テ之ニ替フルコト、寛治二年正月二十五日ノ條ニ見ユ, 〔奧羽觀迹聞老志〕, か其□徳を仰かさらん, 抽矢澤在田澤村、相傳寛治之役、義, 于時貞和三年、法印權大僧都玄慧一谷の衆命, 參考〕, ○中, 戸理郡, 四ノ五名蹟五, 略, 四ノ五, 後三年ノ, 遺跡, 傳景政ノ, 軍, 寛治元年十二月二十六日, 三二五

割注

  • ○中
  • 戸理郡
  • 四ノ五名蹟五
  • 四ノ五

頭注

  • 後三年ノ
  • 遺跡
  • 傳景政ノ

  • 寛治元年十二月二十六日

ノンブル

  • 三二五

注記 (28)

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