『大日本史料』 3編 1 応徳3年11月~寛治4年雑載 p.410

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を飾り、殆十六大王釋尊の御許に詣せし粧にも勝るへく、同二月廿二日、帝, りて、遂に當山に御幸を企させ給ひけり、寶〓には、珠玉を鏤め、鞍馬は錦〓, を拂ひて筵とす、同廿六日、笠木の御假屋より、山上中院へ入御し給ふ、寺家, れは、俄に議して、此所に御駐驛を勸め奉る、人々〓棘を束ねて枕とし、莓苔, の座所とす、同日當山へ幸し給ふへきよし、勅し給ひけれとも、日〓に晩け, 趾の勞も厭はせ給はす、黄昏に及ひ、笠木の御假屋に至り給ふ、彼所に寺家, 城を御發靱あり、供奉の公卿には、右大臣顯房公、大納言師忠卿、權大納言雅, を經巡まし〳〵、同二十四日、高野政所慈尊院に著御し給ひ、同二十五日、丑, 刻侍臣等、松明を執りて、政所より御歩行あり、山路險岨、深谷幽玄の地に玉, より三間一面の御所をしつらひ、兩方に各五間の板屋を構へて、公卿侍臣, には、東寺長者僧都定賢、山門權僧正仁覺、三井大僧都隆明、仁和寺僧都寛意, 師通公、左大辨匡房卿、以上四人は、宇治まて供奉す、同二十三日、南都の兩寺, の沙汰として、新に御所を造らしむ、同廿七日、先奧院へ御幸ありて、石壇の, 實卿、皇后宮大夫公實卿、宰相中將基忠卿、右大辨通俊、三位中將經實卿、釋家, 等、殿上人十四人、武者所十四人、其他京極攝政師實公、左大臣俊房公、内大臣, 御發靱供, 奉, 寛治二年二月二十二日, 四一〇

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  • 御發靱供

  • 寛治二年二月二十二日

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  • 四一〇

注記 (19)

  • 1686,741,60,1961を飾り、殆十六大王釋尊の御許に詣せし粧にも勝るへく、同二月廿二日、帝
  • 1787,742,63,1964りて、遂に當山に御幸を企させ給ひけり、寶〓には、珠玉を鏤め、鞍馬は錦〓
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