『大日本史料』 3編 5 承徳2年1月~康和3年6月 p.653

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杜撰いふにたらず、, からず、獨基光は、分脈に越前守頼成男と記し、顯文抄にも、應徳頃の人とす, 卷中記云、已上基光、已下公時、公持、阿梨公、, れは、天暦に後るゝ事百三十年許、寛和におくるゝ事も稍百年なり、但倭錦, には、寛弘中の人とせり、然れとも基光男珍海、大治中の人、二男行海は、顯文, 書に徴を得ざれども、寛和頃の人とすべければ、公望と年歴のたがひおほ, り、覺超は、元亨釋書に、慈惠の門人にして、源信に兄事すとありて、畫事は古, らす、又、土佐系圖に清隆の男とし、小録に阿闍梨某を基光の子とするなど、, る基光は、永保寛治頃の人とせん事論なかるへし、倭錦の説其よる所をし, 躬行按ずるに、公望は、巨勢系圖に、金岡男或は公忠の男とす、天暦頃の人な, 如慶粉本記云、此相撲之繪、千宗旦有之寫、明暦三年八月日、住吉内記廣通、, 抄に、治承四年十二月十日寂すと東寺長者補任を引證せり、されば其父な, 二十三日, 〔中右記〕目録三月廿三日、有政、, 眞頼曰、角力繪一卷、〓本博物館にあり、, 政、, 補, ○中, 略, 寅、正, 代相違ス, 倭錦ノ説, 望トハ時, 根據ナシ, 基光ト公, 康和二年三月二十三日, 六五三

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  • ○中
  • 寅、正

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  • 代相違ス
  • 倭錦ノ説
  • 望トハ時
  • 根據ナシ
  • 基光ト公

  • 康和二年三月二十三日

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  • 六五三

注記 (27)

  • 616,620,62,574杜撰いふにたらず、
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