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らたむ、始祖宗光はその嫡男なりといふ、今按ずるに、尊卑分脈に、公治は, 師輔の男、公季の流にして、其九代の孫公氏、正親町三條の祖たり、公氏よ, 三條大納言公治が嫡子を右中將實興といふ、故ありて近江國に寓居す、, 傳を存するのみ、宗光七代の孫康長、はじめて松平の御稱號をたまふ、」, れよりのち代々嗣たるものは松平を稱す、, す、疑ふべし、寛永及び貞享の譜、先祖は三條家よりいづるとのみしるし、, そのかみすでに藤原支流におさむるもの是なりといふべし、よりて家, 正左衞門宗光、寛正明應の事蹟あるときは、曾祖父公治と時代を同じう, り十一代の孫大納言公治、明應四年卒す、年五十六、其男參議右中將實興、, 其子三郎實光三河國田原に移り住し、外家の號十田を稱し、後戸田にあ, 文明十三年正月三日卒す、年二十五と見えたり、これによりて考るに、彈, 寛永系圖、家傳を引ていはく、先祖は三條家よりいづ、今の呈譜に正親町, 送ル、明應年間城ヲ同郡田原ニ築キ之ニ居リ、永正五年, 憲光嗣ク、, 〔寛政重修諸家譜〕〓百, 六月十九日卒ス、, 戸田, 辰, 戊, ト稱ス, 初メ十田, 原城ヲ築, ヨリ松平, 康長ノ時, 明應中田, ヲ稱ス, 永正五年六月十九日, 七八
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- 辰
- 戊
頭注
- ト稱ス
- 初メ十田
- 原城ヲ築
- ヨリ松平
- 康長ノ時
- 明應中田
- ヲ稱ス
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- 永正五年六月十九日
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- 七八
注記 (28)
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