『大日本史料』 4編 2 文治3年9月~建久元年1月 p.800

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部の私大と稱す、〓にして三戸に城を築て居住す、, いたせし功に依て、安達郡を賜り、大熊川の東を領し、四本松に住しにるか、, 郷をあたへらる、文治五年六月九日、鶴岡八幡への社參に、先陣の隨兵たり、, 後、頼朝公、泰衡征伐御下向の時、俵藤太秀郷の後胤信夫次郎秀行といふも, 七月、伊達の泰衡を征伐として、陸奧國に發向乃とき、これに從ひ、阿津賀志, 來りて、屋形之内に植置、住吉四社を勸請せり、依て四本松といゝあへり、其, の、泰衡の一族なれ共、泰衡、其諫を用ひさる故、頼朝公に歸降し、諸軍の先導, 伴次郎助兼供奉して、安達郡に居住す、本國攝州より松の小苗木四本を持, 山、國見澤にをいて戰功あり、泰衡亡ひて乃ち、陸奧國を分て、軍功の士三十, へに私に大盡となし、越年の儀式を整ふ、乃ち、代々吉例とす、邦俗、これを南, 二十九日、糠部郡三戸に入部, するのところ、この月小盡にして、新春を迎ふるの儀をなすことを得す、ゆ, 六人に宛行はる、光行も、その列にありて、九戸、閉伊、鹿角、津輕、糠部, 嫡男四五歳の時、不慮に狂氣して相果、其外にも、奇怪の事ともありし故、古, の五郡を領す、十二月, 〔四本松傳記抄出〕四本松住吉明神き、義家公、奧州國府へ御下向の時、〓仗, ○平泉雜記ニ、建, を割て、三, 久二年ニ作ル, 戸郡、北, 郡を置, 後、糠部郡, 安達郡ヲ, 郡ヲ授ケ, 信夫秀行, 糠部等五, ラル, 授ケラル, 文治五年九月二十日, 八〇〇

割注

  • ○平泉雜記ニ、建
  • を割て、三
  • 久二年ニ作ル
  • 戸郡、北
  • 郡を置
  • 後、糠部郡

頭注

  • 安達郡ヲ
  • 郡ヲ授ケ
  • 信夫秀行
  • 糠部等五
  • ラル
  • 授ケラル

  • 文治五年九月二十日

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  • 八〇〇

注記 (30)

  • 1003,647,57,1507部の私大と稱す、〓にして三戸に城を築て居住す、
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