『大日本史料』 4編 4 建久3年3月~6年8月 p.732

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シテ、本所ニ致ス、, られしなるへし、, 院宣之間、三十七箇國内諸庄園、於今者不可有武士妨之旨奏聞之後、歴年序, 由有領家之訴、此事、去文治元年、爲〓索叛逆衆、被遣軍士於諸國之時、雖被入, 十日、, 兵粮米催使散在御家人等、寄事於左右、現狼藉之由、民庶愁歎之趣、度々被下, 請セシコト、文治二年六月二十一日ノ條ニ見エタリ、, ○頼朝、山城國以下三十七國ノ武士ノ濫妨ヲ停止セラレンコトヲ奏, 本所云々、, 訖、今更此訴出來、太依驚思食、被尋朝宗之處、陳謝不押領之由、召其請文被遣, の事を沙汰すること以〓きたり、これ亦、關東の制に准をしものなり、, 〔吾妻鏡〕十四十二月十日、丙寅越前國志比庄、爲比企藤内朝宗被押領之, に、此一職にそにか〓うき給はりしとみゆ、故に打任とく寺社奉行と稱を, 〓越前國志比莊領家、比企朝宗ノ押領ヲ訴フ、幕府、朝宗ノ請文ヲ徴, 其頃き、兩六波羅にも、寺社奉行一員を定めそ、畿内近國なる寺社, 十一日, 月次祭、神今食、, 建久五年十二月十日十一日, の、執行ひ, ○下, 略、, しな〓, 寅, 寺中の雜務は、各其寺社につきとる公文政所〓〓〓, 、〓中〓〓發、冷ヽ時〓捧行〓職掌にあたれり、但、當時、社内, 卯, 丙, 兵〓米催, 使, 七三二

割注

  • の、執行ひ
  • ○下
  • 略、
  • しな〓
  • 寺中の雜務は、各其寺社につきとる公文政所〓〓〓
  • 、〓中〓〓發、冷ヽ時〓捧行〓職掌にあたれり、但、當時、社内

頭注

  • 兵〓米催
  • 使

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  • 七三二

注記 (30)

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