Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
いひたる北坂梨惟貞か父阿蘇品六郎入道れんさい, かて其地に社をも建立せられ、祭會等も始置れしにや、建武以後は、前にも, より阿蘇社ありて、甲佐〓軍郡浦を阿蘇三社領といへり、ツつ比より此地, 甲佐城に押寄たりしは、頼尚か自身大將して、肥後に打入たるは、是か初て, 措したりしとも聞えされは、惟澄に手いたくふせかれ、頼尚はつひには城, をも落しえす、筑前のやうに引返せしなるへし、郡浦は宇土郡の中にて、昔, こと見えたれは、近衞院乃御願にて、阿蘇社に郡浦の地を御寄附ありて、や, 政所職に補せし、建武元年十二月大宮司惟時か沙汰状あり、其をり案を田、, て、久安六年正月甘三日、留守所に下されし國廳の宣あり, にてありしなり、此時惟澄か城を落されしさまにも見えす、また菊池か後, に阿蘇社を祭られしにや、阿蘇文書乃中に、郡浦社領乃四至堺の事ニつき, 不退恆例神事、奉祈聖朝安穩御願者也と見えて、當代より祭會を始置れし, 件の廳宣に、當所者、於御寄進之地、被始置祭會以降、令勤行長日, 〔征西將軍宮譜〕三惟澄申状に, と見へて、少貳頼尚か, を、當社領の惣, 〔參考〕, 〔征西將軍宮譜〕三惟澄申状に呻〓〓別ユ棚〓げと見へて、少貳頼尚か, 介源朝臣判, 人の署名あり、大, ○申状ハ前ニ掲〓, 廳宣の末、在廳一, と見へたり, 蓮西な, タルヲ以テ略ス, るへし, キテノ考, 郡浦ニツ, ツキテク, 甲佐攻ニ, 考, 南朝延元三年北朝暦應元年十月是月, 一一五
割注
- 介源朝臣判
- 人の署名あり、大
- ○申状ハ前ニ掲〓
- 廳宣の末、在廳一
- と見へたり
- 蓮西な
- タルヲ以テ略ス
- るへし
頭注
- キテノ考
- 郡浦ニツ
- ツキテク
- 甲佐攻ニ
- 考
柱
- 南朝延元三年北朝暦應元年十月是月
ノンブル
- 一一五
注記 (33)
- 385,665,57,1556いひたる北坂梨惟貞か父阿蘇品六郎入道れんさい
- 502,661,59,2208かて其地に社をも建立せられ、祭會等も始置れしにや、建武以後は、前にも
- 1206,656,59,2218より阿蘇社ありて、甲佐〓軍郡浦を阿蘇三社領といへり、ツつ比より此地
- 1673,657,60,2213甲佐城に押寄たりしは、頼尚か自身大將して、肥後に打入たるは、是か初て
- 1441,654,58,2221措したりしとも聞えされは、惟澄に手いたくふせかれ、頼尚はつひには城
- 1323,655,58,2218をも落しえす、筑前のやうに引返せしなるへし、郡浦は宇土郡の中にて、昔
- 619,656,59,2212こと見えたれは、近衞院乃御願にて、阿蘇社に郡浦の地を御寄附ありて、や
- 265,650,61,2233政所職に補せし、建武元年十二月大宮司惟時か沙汰状あり、其をり案を田、
- 972,658,57,1715て、久安六年正月甘三日、留守所に下されし國廳の宣あり
- 1558,665,59,2213にてありしなり、此時惟澄か城を落されしさまにも見えす、また菊池か後
- 1089,654,58,2222に阿蘇社を祭られしにや、阿蘇文書乃中に、郡浦社領乃四至堺の事ニつき
- 737,650,58,2221不退恆例神事、奉祈聖朝安穩御願者也と見えて、當代より祭會を始置れし
- 853,1015,60,1854件の廳宣に、當所者、於御寄進之地、被始置祭會以降、令勤行長日
- 1770,619,101,1030〔征西將軍宮譜〕三惟澄申状に
- 1791,2251,56,615と見へて、少貳頼尚か
- 386,2448,57,427を、當社領の惣
- 1904,840,76,203〔參考〕
- 1769,597,104,2267〔征西將軍宮譜〕三惟澄申状に呻〓〓別ユ棚〓げと見へて、少貳頼尚か
- 886,660,41,332介源朝臣判
- 957,2393,43,473人の署名あり、大
- 1819,1682,44,526○申状ハ前ニ掲〓
- 1002,2389,41,464廳宣の末、在廳一
- 841,662,39,330と見へたり
- 413,2246,44,183蓮西な
- 1778,1684,39,470タルヲ以テ略ス
- 372,2251,41,181るへし
- 1314,293,39,166キテノ考
- 1357,289,41,167郡浦ニツ
- 1800,297,32,157ツキテク
- 1839,291,42,162甲佐攻ニ
- 1752,290,39,41考
- 164,719,45,732南朝延元三年北朝暦應元年十月是月
- 163,2470,48,113一一五







