『大日本史料』 6編 11 貞和3年12月~貞和4年10月 p.820

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〔參考〕, ベシ、, されは此とき惟澄か, の家とも多かりしを、こと〳〵くやきはらひしなるへし、其外先々とは、是, 六箇の庄をやきはらひたる後の事にてはあらす、守富庄と隈牟田庄とは、, 下されしことにて、守富庄は近き比まて大友か所領の地なりしを、當時は, も其類にて、其比まてはいまた川尻なとか押領してありしなるへし、鹿子, 前にみえたることく、興國元年二月に惟直惟成か討死をし賞として、惟時, 澄、軍功ヲ懷良親王ニ具申スルコト、本月是月ノ條ニ見ユ、竝ニ參看ス, に下され、守富庄は其前年に宮より官軍等に支配すへきよしにて、惟澄に, より以前にも御敵地に打入て、所々に燒働きしたることをいひたるにて、, 平十六年に其事を惟澄より宮へ歎訴申たりしことあり、されは隈牟田庄, 川尻押領して、いまたしつにき阿蘇家に下地をうち渡さてありしゆへ、正, 木は、本は堀河大納言家の御庄なりしか、嘉元四年筑後國の住人三池安藝, 此庄に馳向ひて、御敵の宅所燒拂しといふは、武宗を始として、詫磨か一族, 〔征西將軍宮譜〕五下, 南朝正平三年北朝貞和四年九月十四日, 〔征西將軍宮譜〕五下〓社數〓〓〓期〓義〓ツム、されハ此とき惟澄か, 六箇莊ノ考ハ其條ニアリ, ○上文ハ十七日ノ條ニ收ム, 隈牟田莊, 守富莊ト, 鹿子木莊, 八二〇

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  • 六箇莊ノ考ハ其條ニアリ
  • ○上文ハ十七日ノ條ニ收ム

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  • 隈牟田莊
  • 守富莊ト
  • 鹿子木莊

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  • 八二〇

注記 (24)

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