『大日本史料』 6編 11 貞和3年12月~貞和4年10月 p.586

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も、書きたるなるへし、右の起請文に、大とのといひたるは、惟時は其比は前, 承て、より〳〵惟時にはやく御旗をあくへきよしいひこしらへたりしか, の大宮司にてありし故、大とのとはいひたりと見ゆれとも、下にこのゝち, は其御よろこひをかさね仰向られたるれり、其後は惟澄も義定卿の旨を, 人とも取立て謀反せし時、惟澄馳向ひて、孫熊丸以下を討殺したるより、惟, しかとも、上の御ためなれは力なく、かく惟時に手をさけ降を請て、起請を, とも、とかく申て御方の色をたつる事なかりし上に、わか謀反せしなとい, 其よしを惟澄に御談合ありしかは、力なく惟澄も許諾申たる故、件の状に, に惟時か歸參を勸めされは、此事とても事行かたからんとて、義定卿より, としうねく延引してありし故、惟澄もいまきしひて心よからぬ事には思, 時も謀叛の心いよ〳〵かたくなりたりし故、惟時と惟澄とか間確執にな, りたるにて、惟時をみかたに招かれんには、先此確執をやめて、惟澄も共々, ふは、惟澄かわか家を奪はんとの纔言なりれとやうのことをいひて、わさ, 大宮司孫熊丸は惟時か一族なりしを、市下、坂梨なといふ惟時か年來の家, とのゝ御しそく御わたり候はん時云々とあるをおもふに、惟時は綸旨に, 南朝正平三年北朝貞和四年六月十八日, 子息ニツ, キテノ考, 南朝正平三年北朝貞和四年六月十八日, 五八六

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  • 子息ニツ
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  • 南朝正平三年北朝貞和四年六月十八日

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  • 402,665,58,2221も、書きたるなるへし、右の起請文に、大とのといひたるは、惟時は其比は前
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