『大日本史料』 6編 11 貞和3年12月~貞和4年10月 p.826

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見えたり、, わたりて、今の小山砥島あたりまてをかけて、當時は六ケ庄といひしなる, 件の御下文をなされしなるへし、今年, へし、後の郷村帳に、小山砥島なとを神倉庄の内としたるは、おほつかれき, し、猶宮方してありしに、越前守か本領新恩地をは、收公とられて闕所とな, 九月惟澄か官軍所望闕所地, る地にて、今の沼山津手永を東西に分て、東を津守庄、西を六ケ庄といひた, 小山むらなるにや、しかれは六ケ庄は大庄にて、いまの六ケ村より東北を, りてありしを、武久其跡を申請たるにてあるへし、さて小山は今の詫磨の, かたに參りし故、まつ六ケ庄を預置きて、京都に其よし申たりし故、明る年, ことにて、むかしの神倉の庄といふは、今の本庄手永をさしていひたるや, うに見えたれは、昔小山砥島あたりは、神倉庄にはあらて、盆城郡に屬した, るか、六ケ庄は大莊にて、北のかた小山砥島のわたりまて、其庄内なりしと, 之申状に、菊池九郎武久申、養父小山越前權守武宗跡本領新恩地事, とみえて、今年養子武久は父に引わのれて、惟澄か手に屬, 〓若山莊領家職日野時光、同莊本家九條經教ト其賦ヲ爭フ、幕府, 十八日, 二年九月二十日, ○以下十四日ノ, ノ條ニ見エタリ。, 條ニ收メタリ、, 事、貞和, ○貞和, ○コノ, 二年、, 子, 壬, 小山村ニ, ツキテノ, 考, 南朝正平三年北朝貞和四年九月十八日, 八二六

割注

  • 二年九月二十日
  • ○以下十四日ノ
  • ノ條ニ見エタリ。
  • 條ニ收メタリ、
  • 事、貞和
  • ○貞和
  • ○コノ
  • 二年、

頭注

  • 小山村ニ
  • ツキテノ

  • 南朝正平三年北朝貞和四年九月十八日

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  • 八二六

注記 (32)

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