『大日本史料』 12編 26 元和二年雑載~元和三年三月 p.653

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くはふ、十二年三月五日死す、年八十二、法名道勘, 津國平野庄に住居し、五年九月、關原凱陣のゝち、二十一日、御上洛あらん, 憂あらんかとて、一族の輩安堵のため、平野庄をよひ六箇村のうち、軍勢, と大津驛まていらせたまふのとき、利方彼驛にいたりて、御駕を迎へた, にあたりて、諸國に通行するところの白銀、其價定りなくして、交易する, ところの者も、また隨てひとしからさりしかは、こひたてまつるむねあ, 甲乙人等亂妨狼藉かたく御制禁たるのむね御朱印を下さる、六年五月、, てまつる、このとき仰ありけるは、平野庄は大坂に近し、もしくは盜賊の, 伏見にめされ、利方ねかふ旨あらは言上すへきよし仰出さる、このとお, るにより、銀座を建て、利方頭役となり、後藤庄三郎光次とおなしく諸事, をあつかり沙汰すへきむね仰をかうふり、一族の輩をして、その座人に, 院に葬る、のち長明にいたるまて葬地とす、妻は平野氏の女、, らためて末吉と稱す、慶長四年、めされて東照宮につかへたてまつり、攝, 高野山の蓮花定, 利方織田右府をよひ豐臣太閤に仕へ、代官をつとめ、命により、平野をあ, 元和三年三月二十六日, 今の呈, 譜道鑑, 利方ノ履, ヲ建議ス, 歴, 銀座設立, 元和三年三月二十六日, 六五三

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  • 今の呈
  • 譜道鑑

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  • 利方ノ履
  • ヲ建議ス
  • 銀座設立

  • 元和三年三月二十六日

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  • 六五三

注記 (24)

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