『大日本史料』 6編 4 建武4年正月~暦応元年閏7月 p.262

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て、其地をすへて惟直か勳功の賞に下されたる故、實忠跡とはあゝれしか, りしかは、綸旨のことく遵行をられて、下地をすへて惟直に沙汰し付らる, に之、其頃菊池一族の中より引分れて、將軍方してありし故、養子武久は、ま, ゝ事は叶はさりし也、此實忠、和泉庄の地頭にて、其身もやかて當庄に居住, とも、其實は實忠は御敵となりて、所領ともをは、猶本のことく知行しそあ, た養父に與をすして、宮方に參りて、所々の合戰に勳功ありし故、武宗か所, に之、其比き此邊皆將軍方に心通はし、阿蘇家の下知に隨ふ者なかりしか, 闕所地の申状に、肥後國六ケ庄地頭職菊池九郎武久申、養父小山越前權守, 領六ケ庄、宮方よりしては闕所の地なれは、武宗跡と稱して、武久請申たる, 武宗跡、本領新恩地事とあり、小山越前權守は、前にいひたる菊池越前權守, なり、此六ケ庄は、津守保と同しく、盆木郡の内なる上に、津守庄に隣たる地, りしなるへし, したりし故、和泉を名字として、和泉豐後守とも名乘つらんとおもふなり、, は、武宗隣境より津守城をも攻取之、和泉實忠か家人とも引入れそ、籠置た, さて實忠か家人をさし向そ、津守城に籠らをたる故は、惟澄か官軍等所望, また惟澄申状に、次三條少將家發向守富庄之時, ○本文, 前ニ擧, ○中, 略、, 二置キタ, 實忠ノ兵, ル因由, ヲ津守城, 南朝延元二年北朝建武四年六月是月, 二六二

割注

  • ○本文
  • 前ニ擧
  • ○中
  • 略、

頭注

  • 二置キタ
  • 實忠ノ兵
  • ル因由
  • ヲ津守城

  • 南朝延元二年北朝建武四年六月是月

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  • 二六二

注記 (26)

  • 1823,633,70,2199て、其地をすへて惟直か勳功の賞に下されたる故、實忠跡とはあゝれしか
  • 1592,635,67,2209りしかは、綸旨のことく遵行をられて、下地をすへて惟直に沙汰し付らる
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  • 1471,644,74,2209ゝ事は叶はさりし也、此實忠、和泉庄の地頭にて、其身もやかて當庄に居住
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