『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.261

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ゆかりありて、女院の侍女にもちなみある人多かりしかは、局町にまね, 御入洛あるへきのあひた、しはらく御合戰をまたせたまはむには、こひ, 水口の御旅舘にいたり、台徳院殿、すてに江戸を御進發あり、幾ほとなく, かれ、酒杯をすゝめらな、ときに小山長門守吉久、正武と無双の懇切なり, のときしたかもたてまほり、禁中に參なのところ、正武か手て〓紳家に, しかは、正武に伴はれて其席にいたま、しかるに吉久頗る美少年た多母, 〓かはくは先鋒たるへしとの御旨を告けたてまつ多のとこ、このた, たり、隊下乃士もまた首數級を得てたてまつな、閏六月二十一日、御參内, して正武〓下の士を率ゐてしたかひたてまつり、岡山乃御陣營にあり、, 元和元年正月二十二日、三河國吉良の御旅舘にいたり、御凱陣の期を告, に、正武〓下の士を下知し、勇を勵まし、みつから鎗を合せて首二級を獲, ひのことは、すへて將軍家にまかせらなへしと仰出さる、五月七日の戰, とこ海、其地乃形勢により、御思慮にまかをらなへしと御〓あり、すてに, たてまつる、このとし秀頼再ひ兵を起すにより、四月十七日、また近江國, も、大坂へ御出馬あるへきやのむ〓、尊慮をうかゝはるゝのよしを申の, 元和元年十二月二十七日, 縁邊多シ, ノ侍女ニ, 小山吉久, 正武女院, 正武ニ伴, ハレテ後, 元和元年十二月二十七日, 二六一, 元和元年十二月二十七日

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  • 縁邊多シ
  • ノ侍女ニ
  • 小山吉久
  • 正武女院
  • 正武ニ伴
  • ハレテ後

  • 元和元年十二月二十七日

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  • 二六一
  • 元和元年十二月二十七日

注記 (25)

  • 481,697,57,2150ゆかりありて、女院の侍女にもちなみある人多かりしかは、局町にまね
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