『大日本史料』 6編 40 応安7年正月~応安7年5月 p.572

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また件軍記に收たる系圖には、武政, 〳〵あやしかる事におほゆるをや、武政か事、今川義範か状にも次郎と見へ、また花, るは、いかなる心にてやありけん、此人に似ぬ、あまりに疎漏なることにて、いと, 打入て、度々合戰したりしか、大友親世、薩摩の島津、肥前の大村、筑前の少貳なと, 花營三代記應安七年六月廿三日の條に、菊池二郎武政、去月廿六日他堺之由、鎭西注, を語らひて、武政を三方より取はさみて、討へきとはかりしを、武政聞付て、まつ島, 進到來云々、と見へたるに、菊池軍記に、永和二年、武政、筑後・肥前・豐後なとに, 營にも二郎と見へたれは、系圖に肥後守とあるは誤にて、武光か死たりしより、やう, 津を打退けんと、薩摩に發向せしに、佐敷にて島津か寄るに行あひ、合戰して島津を, 追退たりしかとも、其陣中より病つきて、菊池に歸り、程なく身まかりたり、と見へ、, たりしことたしかに見へたるにも心つかて、一人の卒年かくさま〳〵に書出しおきた, 書の中にてかく相違したるのみならす、附録中に引たる武朝か申状に、武政か早世し, 〳〵三年にかゝりたる程なれは、いまた官途かけてや有けんともおもふ、されとも、, 〔征西將軍宮譜〕, と見へて、武政か卒年、一, 四日卒、法名志行大居士、, 次郎、肥後守、應永六年十月, ○内閣文庫本, 十文中三年甲寅應安七年, 南朝文中三年北朝應安七年五月二十六日, 五七二

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  • 四日卒、法名志行大居士、
  • 次郎、肥後守、應永六年十月
  • ○内閣文庫本
  • 十文中三年甲寅應安七年

  • 南朝文中三年北朝應安七年五月二十六日

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  • 五七二

注記 (21)

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