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々實檢田數注進状に、堅志田郷七十丁三反二丈なと見えて、件の四郷はい, また甲佐社の供僧法橋某か建長二年御内并郷, つれも久しき甲佐の社領なるを、今かく打隨といふをおもへは、件郷々の, 號守護代とは、頼尚去年尊氏卿の御供して、上洛し、兵庫合戰、京都數度合戰, 馬にのり、多々良川を渡りて、先を懸たる事の見えたる、彈正左衞門か、また, 彈正左衞門、赤革の肩白の鎧きて、月毛の馬にのり、其子は黒革の鎧きて、黒, 左衞門か子、即此小太郎にて、其比は已に入道してありしもしるへからす、, 地下人まても、大かた其比は武家方に押領せられてありし故、武家に心を, 引入なとして、置たりし故、惟澄それをも追出さんとて、豐田莊に打入たる, は小太郎は、それか官途以前の字にてもあるへし、また梅松論に所謂彈正, 通して、御方にまゐる者はなかりしと見えたり、豐田莊は、是も盆木の西郷, にて、件の堅志田勾野等に隣たる地也、是は前にもいふ如く、當時は菊池, 也、〓庭小太郎入道は、梅松論多々良濱合戰の條に、少貳か宗徒の家人〓庭, に戰功有しかは、其年冬、御暇賜はりて、歸國せしをり、肥後國守護職になさ, つ所領なりしかとも、地下の者共皆凶賊に與して、少貳か勢を, 南朝延元二年北朝武武四年二月二十二日, 横山并立神、南限大山、西限, 太田横道、北限河流并宮山, 蘇には非歟, 云、菊池は阿, 盾, 臣, 郎入道ニ, 饗庭小太, 所在, ソキテノ, 豐田莊ノ, 考, 南朝延元二年北朝武武四年二月二十二日, 八八
割注
- 横山并立神、南限大山、西限
- 太田横道、北限河流并宮山
- 蘇には非歟
- 云、菊池は阿
- 盾
- 臣
頭注
- 郎入道ニ
- 饗庭小太
- 所在
- ソキテノ
- 豐田莊ノ
- 考
柱
- 南朝延元二年北朝武武四年二月二十二日
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- 八八
注記 (30)
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