『大日本史料』 4編 6 正治元年1月~建仁元年3月 p.64

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〳〵けれは、時政か聟になし申されけると也、されは頼朝と義兼もいとこ, りて、物くるはし銭事おはしますへしと仰けると申傳しり、, は御相續也、, 清、木曾殿と同時せめ上り、備中國水島合戰に討死也、二男足利判官義房は、, は、終に知人なし、頼朝右大將には殊更近付ぬひしかは、猶世に憚りそ、空物, にて、又相聟也、去程に、新田殿より、足利殿御末繋昌し、代々北條家と縁をむ, 也、二男義康、足利殿、是そ今の將軍の御先祖也、義康の御子一男矢田判官義, すひ給ひし也、義兼の實父爲朝は、高名の合戰廿五度、人をころす事數不知, 義兼は、實は八郎爲朝の子成しを、義康のひそかに養ひ給ひけると也、御長, 狂になりぬひて、其代き無爲に過ぬひしかは、我子孫にはしはらく靈と成, ろしめし給ひけると也、頼朝にちつきんし給ひ、人からもおんひんにまし, 頼政に一味し、宇治川合戰に討死し給ふ、三男上總介義兼そ、義康の家督を, 九尺計にて、力人に勝れ給ふ、義兼は此事しろしめさぬ、頼朝はひそかにし, されとも一人として非儀の敵をうたす、古今無雙の強弓にてあれとも、漁, 〔今川記〕當時源氏の正統を申奉るに、義國の御子一男義重、新田殿の初め, 兼トノ關, 頼朝ト義, 係, 爲朝ノ陰, 徳, 空物狂, 正治元年三月八日, 六四

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  • 兼トノ關
  • 頼朝ト義
  • 爲朝ノ陰
  • 空物狂

  • 正治元年三月八日

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  • 六四

注記 (23)

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