『大日本史料』 10編 23 天正2年6月~7月 p.22

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として濱松にたてまつりしうへは、志を變せすといへとも、城中の士あるひ, ゝみいてゝ、各の評議某にをいては心得す、父にはなれ子を捨るも武士のな, 助志を變して勝頼に降參す、このとき義頼及ひ一族のものは、先に清廣を質, 惣兵衞清廣を獻せしかは、加勢の士五十騎をさしむけらる、しかるに城主氏, は氏助にくミするものもありて、評議まち〳〵なりしに、一族雲波齋氏朝す, らひなれは、人質の事は是非にをよはす、數代相傳の今川家滅亡の時いたり, 天正二年五月、武田勝頼高天神の城をせむるのとき、使節を濱松にはせて御, て、ひとたひ東照宮の御味方に屬し、いくほとなく志を變し、武田家に降參, 加勢をこひ申のところ、人質をたてまつるへきむね仰下さるゝにより、弟, ひ義頼をはしめとして、これに同するともから小笠原彌八郎義信, せる不義にく〻せん事おもひもよらす、といひしかは、一族宗三軒朝宗をよ, 初茂頼、豐松、彦五郎、彌八郎、右京進、致仕號道鐵、母は氏清におなし、, せたまひしかは、右府すなはち氏政をしてこれを誅せしむ、, 同長, 義頼, 義頼か, 長男, 義頼, せたまひしかは、右府すなはち氏政をしてこれを誅せしむ、, 二派二分レ, 高天神城中, 小笠原義頼, テ爭フ, 方, 天正二年六月十七日, 二二

割注

  • 義頼か
  • 長男
  • 義頼
  • せたまひしかは、右府すなはち氏政をしてこれを誅せしむ、

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  • 二派二分レ
  • 高天神城中
  • 小笠原義頼
  • テ爭フ

  • 天正二年六月十七日

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  • 二二

注記 (26)

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