『大日本史料』 5編 1 承久3年7月~貞応2年5月 p.67

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八月五日、三皇遂著御于隱岐國阿摩郡苅田郷云々、今森郷海士村ノ内葛田, 玉ひし處とそ、谷際に小堂あり、茅屋か軒はの月も見と製吟有し堂なり、, 一島の出たる處の右に廻れは、鉢か浦と云、是より西方直ちに北に行、其山, 址を波止と云、先の美田の松山につゝけり、此は彼の後鳥羽院の官船を寄, に出つ、南に去ること三十間はかりにして、海に出たる小島あり, 小坂を下れは、又田園有り、左に古き神祠あり, 僧、中興開山也トモ云、寺寶ニ九條ノ袈裟アリ、太守源吉透公ノ母堂養法院, 邊を一郷とす、往昔後鳥羽院、隱岐國遷幸の時, 此より下れは入海の汀, 美田郷に東より入る處, 美田郷, 開基ハ聖徳太子也ト、先住書記シ置タリ、ユヘアルヘシ、天正年中、順慶ト云, 弓の濱三保の關つるよりかけて心安來にいたきころかな, 殿ノ寄進ナリ、, 〔隱州視聽合紀〕, 〔日本國郡沿革考〕四隱岐國於岐、海部、又阿摩ニ作ル、東鑑、承久三年, りと詔、故に安來といふなり、風土記、和名鈔に載す、安來、宮内、和田、黒鳥、島田, 安來昔神須佐烏命、此所に來坐て、吾御心者安平な, 雲陽志, 或は美田, 能義郡上, 院と云、, ○中, 四島前紀, ○中, 知夫郡, 三, 略, 略, 苅田郷, 御著船遺, 葛田山, 跡, 安來, 承久三年七月十三日, 六七

割注

  • 或は美田
  • 能義郡上
  • 院と云、
  • ○中
  • 四島前紀
  • 知夫郡

頭注

  • 苅田郷
  • 御著船遺
  • 葛田山
  • 安來

  • 承久三年七月十三日

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  • 六七

注記 (36)

  • 304,726,55,1993八月五日、三皇遂著御于隱岐國阿摩郡苅田郷云々、今森郷海士村ノ内葛田
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