『大日本史料』 1編 9 天暦元年 6月~7年7月 p.74

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荒なんとす、辱も贈大相國家綱公修造なさしめ玉ひてより以來、橋修造あ, なるといへり、其先は天兒屋根命の苗〓、河邊左大臣魚名公の五男、伊勢守, は三井寺に寄附す、今祭る處の二座の祠、一座は水府の神、一座は秀郷の靈, なり、又傍に寺あり、龍光山雲住寺と號す、こゝに秀郷朝臣の始終を擧て、當, 郡田原村の人なり、世に傳ふ、水府に入て俵を得たり、田原氏を改て俵氏と, 北妙心寺に納む、俵、鐺、鎧は蒲生氏の家に傳へ、其後淺野安藝守家に傳來す、, る日は、必此社も預る、雲住寺の縁起に曰、鎭守府將軍秀郷朝臣は、江州栗太, 村雄下野掾鹿島が女を娶て、秀郷朝臣を生、秀郷膂力絶倫なり、殊に射藝に, 守に任じ、鎭守府將軍と成、百足馬蚊を射處の鏃、長さ八寸、銘尚宗とあり、洛, 藤成朝臣なり、藤成の男を下野守豐澤といふ、豐澤の男を河内守村雄と云、, 淺野安藝守は、蒲生氏郷の孫、中務忠知の弟なり、太刀は竹生島に奉納し、鐘, め玉ふ、然して後、朱雀天皇の御宇、平將門を討、從四位下に敍し、下野、武藏の, 醍醐天皇叡感の餘り、從五位下に敍し、下野の押領使に任ぜし, 寺の縁起とす、天和元年辛酉葭月穀旦、連山道人題すと云々、雲住寺の縁起, 妙なり、當國日野に居して、常に佛法を信じ、園城寺に詣す、, 前掲ノ太平, 記ニ同ジ、, ○中略、〓舩ヲ射, ルコトニカヽル, 絶倫, 雲住寺縁, 秀郷膂力, 起, 天暦元年閏七月二十四日, 七四

割注

  • 前掲ノ太平
  • 記ニ同ジ、
  • ○中略、〓舩ヲ射
  • ルコトニカヽル

頭注

  • 絶倫
  • 雲住寺縁
  • 秀郷膂力

  • 天暦元年閏七月二十四日

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  • 七四

注記 (25)

  • 1834,661,86,2186荒なんとす、辱も贈大相國家綱公修造なさしめ玉ひてより以來、橋修造あ
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