『大日本史料』 5編 2 貞応2年6月~嘉禄元年12月 p.128

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ものなり、, 二世云々、此説による時は、行勇は第二世にして、榮西禪師を開祖とすと見, へ用しなり、其頃よりの御教書等數十通ありて、本院の始終を勘るに足る, 定院を興建して、改めて金剛三昧院と名く、是故に、寛喜の頃まては、兩名參, 之法嗣也、京洛東山建仁寺、鎌倉壽福寺、筑前聖福寺被兼匡、自貞應年中、令居, 住于當院、天福二年、賜御教書、擢長老、開山之初、衆議而任建仁寺本願僧正之, 素意、興行教律禪之三教、取意然るに本朝僧傳に、尼眞如、於高野山、建金剛三, 建立の砌り、行勇住務の際なる故に、院譜には、行勇を以て開基とす、本朝僧, 院に住する歟、然れとも、本院の繁興法門の興隆は、貞應年際、秋田入道堂塔, 院譜云、開山長老行勇莊嚴房也、師相州酒匂人、名退耕和尚建仁寺開山千光, 昧院、請明菴、榮西、爲落慶供養導師、建保乙亥、明菴遷化、右府實朝公、延勇爲第, へたり、按するに、建暦の初め、草房建立のとき、明菴落慶供養を修し、暫く斯, 開基, 金剛三昧院と名くと、取意、今所藏の古文書を以て是を考るに、覺智入道、禪, 傳等は、最初に約して、明菴を初祖とす、何れもその由あるものなり、但し明, 貞應二年是歳, 一二八

  • 貞應二年是歳

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  • 一二八

注記 (17)

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