『大日本史料』 11編 17 天正13年7月 p.221

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とあり、位牌, り、慈眼寺の過去帳に、, の城名は橘江と云しと、この説昔より傳し事と見へ、天正陣實記にも出、墓は慈眼寺の, 後にあり、左に圖せるが如き古き石塔あり、近世新に俗なる大石を建て甚古意を失, 扨此金子氏を世上にては備後守と稱へ傳兵衞と云名は不知もの多し、, 松山道後の湯の事を掌れる明王院といふ山伏は金子氏の末葉也と云、此昔の話に、金子, 金子氏沒後に其法諡を取て冥福の爲に建立したる成へし、寺火災に遭て舊記傳はらず、, 此人の事太閤眞顯記に見へて、無雙の豪雄にて有しが吉川の勢に攻られ討死す、, ふ、, 太閤も御聞ありて感稱の餘り備後守を追贈せられしと土人これを語る、, 當寺開基前備後守慈眼寺殿威峯宗勇大居士, 天正十二年申七月十七曰實名基家公御事, も此寺に崇て香花を供す、當寺の稱號を慈眼といふに據りて考れは、, 天正十三年七月十七日, 守基家前の名は彦十郎, 河野軍記には金子備後, 氷見高尾の城にて, 戰死すともいふ、, と云し也, の如し、, 法名等前, とあり、, 明王院, 太閤眞顯記, 元宅ノ古石, 天正陣實記, 元宅ノ末裔, 塔, 天正十三年七月十七日, 二二一

割注

  • 守基家前の名は彦十郎
  • 河野軍記には金子備後
  • 氷見高尾の城にて
  • 戰死すともいふ、
  • と云し也
  • の如し、
  • 法名等前
  • とあり、

頭注

  • 明王院
  • 太閤眞顯記
  • 元宅ノ古石
  • 天正陣實記
  • 元宅ノ末裔

  • 天正十三年七月十七日

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  • 二二一

注記 (30)

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