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有四、こゝに於て驛中天照山勝願寺に殯す、, といへとも驗なく、病ます〳〵革やかにして、六日の夜終に逝去、享年六十, 井山歡喜院に移して改葬す、, 十一月八日、勝願寺より小諸松, に還らんとせし時、途中にて病痾發り、武州鴻巣驛に駕を駐め、醫療を加る, 岩村田町寺西念寺寺内ニ舊領主仙石秀久、同弟, 秀久公慶長十九年甲寅五月、江戸を發し、小諸, 法諡圓覺院殿寶譽道樹大居士と號す、, 内膳政直ノ二墓アリ、, 郡村誌, 〔改撰仙石家譜, (マヽ), には、法名覺性院殿と有て、牌面, なる〓し、又知見の二字は、實永五年戊子の, 芳泉寺傳記云、歡喜院、後に寶仙寺と政號し、後, 時の導師にて附屬せし所にて、芳泉寺に改葬の時、今の院號に改めしもの, 又文字を芳泉と改とあ〓、小諸古老談を按す, 〓するに、勝願寺にある石塔婆, とし、追號せしと勝願寺傳記に見えたり, 信濃國, には寳譽知見道樹大居士とあ〓、されは、院號は、當山二世親住不殘上人、此, 上田芳泉寺に, 佐久郡, するなり、當時傳記に、遺命によりて分骨を葬るとあるを證とすへし、岩村, 田の西念寺に存る本堂の側なる古墳は、秀久公の六男内膳政直の墓ねト, るに、寶仙寺裘上田に移せし後、小諸に松平因幡守延良、美濃大垣より移封, 世譜一, 法臺院殿是也、同寺境内の坤隅に、柳堂と字名する地に、大石左右に相對し, 在る〓眞廟也, 其時其菩提寺廣岳寺を寶仙寺の舊地に造立ありしといふ、さ得は今廣岳, て、一堆の小高き所あり、是處則諸士傳記に云、火化せし時、〓を安置所, 寺の地、實仙寺の舊跡なり、抑圓覺院殿の〓所、今存するもの所にして、其, く、假りに葬里し所なりは、陀毘せし時、分骨を此寺に留せに、今に其碑を存, 眞廟に惑ふ事久し、因て是を訂正するに、鴻巣勝願寺に在るは、上に記す如, ならん、又江戸駒籠光源寺の石碑は招魂墓なり、さ〓は圓覺院殿の墳墓は, 秀久ノ墳, 墓, 墓, 秀久ノ墳, 慶長十九年五月六日, 四〇
割注
- には、法名覺性院殿と有て、牌面
- なる〓し、又知見の二字は、實永五年戊子の
- 芳泉寺傳記云、歡喜院、後に寶仙寺と政號し、後
- 時の導師にて附屬せし所にて、芳泉寺に改葬の時、今の院號に改めしもの
- 又文字を芳泉と改とあ〓、小諸古老談を按す
- 〓するに、勝願寺にある石塔婆
- とし、追號せしと勝願寺傳記に見えたり
- 信濃國
- には寳譽知見道樹大居士とあ〓、されは、院號は、當山二世親住不殘上人、此
- 上田芳泉寺に
- 佐久郡
- するなり、當時傳記に、遺命によりて分骨を葬るとあるを證とすへし、岩村
- 田の西念寺に存る本堂の側なる古墳は、秀久公の六男内膳政直の墓ねト
- るに、寶仙寺裘上田に移せし後、小諸に松平因幡守延良、美濃大垣より移封
- 世譜一
- 法臺院殿是也、同寺境内の坤隅に、柳堂と字名する地に、大石左右に相對し
- 在る〓眞廟也
- 其時其菩提寺廣岳寺を寶仙寺の舊地に造立ありしといふ、さ得は今廣岳
- て、一堆の小高き所あり、是處則諸士傳記に云、火化せし時、〓を安置所
- 寺の地、實仙寺の舊跡なり、抑圓覺院殿の〓所、今存するもの所にして、其
- く、假りに葬里し所なりは、陀毘せし時、分骨を此寺に留せに、今に其碑を存
- 眞廟に惑ふ事久し、因て是を訂正するに、鴻巣勝願寺に在るは、上に記す如
- ならん、又江戸駒籠光源寺の石碑は招魂墓なり、さ〓は圓覺院殿の墳墓は
頭注
- 秀久ノ墳
- 墓
柱
- 慶長十九年五月六日
ノンブル
- 四〇
注記 (41)
- 1424,585,64,1295有四、こゝに於て驛中天照山勝願寺に殯す、
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