『大日本史料』 9編 1 永正5年6月-永正6年9月 p.70

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桂庵初め周防山口の人、九歳にして洛陽南禪寺に登り、嘉吉二年壬戌の冬、, 學び、四書新註を傳へ、義を聞と熟せり、, る、即ち安國寺月〓に傳ふ、月〓また龍元寺二州に傳へ、二州、大龍寺文之に, 禪師墓、永正五戊辰年六月十五日寂、世壽八十二歳、東歸庵開山也と記せり、, 聞、即桂樹院を建立して住持たらしむ、桂庵程朱の説を傳へて、儒名世に鳴, の學を本藩に傳へし僧なり、墓銘に、正興三十九世前南禪桂庵玄樹大和尚, 傳へ、文之、屋久島の如竹に傳へて、天下に行はるゝといふ、桂庵諸所に轉住, 十六歳にて小僧の戒壇に登り、東山惟正和尚、東福景召和尚に從ひ儒學を, し、後に上伊敷村梅淵に隱居す、其寺を東歸庵といへり、永正五年六月十五, 日、八十二歳にして卒る、墓は即ち東歸菴の故趾に在り、正興, 日岐陽和尚勅を奉して明國に使僧を撰ふ、岐陽其人を指すことあたはす、, 陰集ど云ふ、, 上伊敷村梅之淵の上、東海庵の舊地に在り、今俗に御庵といふ、桂庵は程朱, 〔薩藩名勝志〕, 三十九世前南禪桂庵玄樹大和尚禪師墓と記せり、詩集一卷あり、島, 桂庵和尚墓, 正興寺は、大隅, 國國府郷なり、, 惟正、景召二老は、時の名衲にして、, 儒學を不二院岐陽和尚に受云々、, 鹿兒島郡, 今廢し, てなし, 二, 玄樹ノ學, 玄樹ノ墓, 統, 銘文, 永正五年六月十五日, 七〇

割注

  • 正興寺は、大隅
  • 國國府郷なり、
  • 惟正、景召二老は、時の名衲にして、
  • 儒學を不二院岐陽和尚に受云々、
  • 鹿兒島郡
  • 今廢し
  • てなし

頭注

  • 玄樹ノ學
  • 玄樹ノ墓
  • 銘文

  • 永正五年六月十五日

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  • 七〇

注記 (30)

  • 516,655,64,2217桂庵初め周防山口の人、九歳にして洛陽南禪寺に登り、嘉吉二年壬戌の冬、
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