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赴く, 烈祖に肥前名護屋に〓し、文祿二年を以て、台徳大君に江都に〓す、既にし, 行ふ、是を文之點といふ, 四書文之點を以て衆に授くといふ、初め藤原惺窩、天正二十年を以て、東照, 略にして、乖誤多し、桂庵禪師明より歸るの後、熟眼を以て是を改正して、訓, を始とす、初め京都南禪寺主岐陽和尚訓點を下せる朱註四書あれとも、麁, て洛陽に遊ぶ、惺窩程朱の學を興すに志あり、因て明國に遊學せんと欲し、, て文之に至る、文之弟子如竹上人あり、桂庵が學、此二人に至て振ふ、其徒皆, 是歳癸巳秋、筑紫に下り、海に浮て、明國に, 點詳備す、因て是を徒弟に授く、其後文之和尚、其本に處々修正を加へ、世に, 於是學徒往々句讀の法を知り、朱學を崇信する者多し、且桂庵が學、數傳し, 洋中暴風に遇て、硫黄島に到る、, 此冬、山川港に泊す、時に山川港正龍寺住持を問得和尚といふ、問得和, 桂庵亦一書を著し、國讀の式を論ず、家法和點といふ、, 〓窩集行状曰、讀聖賢性理之書、思當世無善師、如竹上人曰、惺窩謂らく、四書, 朱註はまだ和訓あらず、因て明國に遊學し、其説を精究して、和訓を下し、朱, ・愛甲喜春所著の書に曰、吾師如竹是を文之和尚に, 惺窩集、硫黄島にて作れ, る詩歌を載す、硫黄島の, 學を興さんとす、是朱説を精究せ, ざれば、訓點を下しがたき故なり、, 出す, 聞く、四書朱註和訓は、岐陽和尚が草創すといへど, 點といふ、然れども文, 之の所始に非ずと、, 或曰、薩州坊津, 卷に, を加へ、如竹等に授く、如竹が時、梓して世に弘む、故に世人多く傳へて、文之, も、桂庵禪師明國より歸るに及て、改正して詳備す、文之に至て、亦處々修飾, より開帆とす, 朱註はまだ和訓あらず、因て明國に遊學し、其説を精究して、和訓を下し、朱, (末力〕, 〓窩集行状曰、讀聖賢性理之書、思當世無善師、如竹上人曰、惺窩謂らく、四書, 正龍寺問, 得ニ就キ, テ新註訓, 文之點, 元和五年九月十二日, 五三〇
割注
- ・愛甲喜春所著の書に曰、吾師如竹是を文之和尚に
- 惺窩集、硫黄島にて作れ
- る詩歌を載す、硫黄島の
- 學を興さんとす、是朱説を精究せ
- ざれば、訓點を下しがたき故なり、
- 出す
- 聞く、四書朱註和訓は、岐陽和尚が草創すといへど
- 點といふ、然れども文
- 之の所始に非ずと、
- 或曰、薩州坊津
- 卷に
- を加へ、如竹等に授く、如竹が時、梓して世に弘む、故に世人多く傳へて、文之
- も、桂庵禪師明國より歸るに及て、改正して詳備す、文之に至て、亦處々修飾
- より開帆とす
- 朱註はまだ和訓あらず、因て明國に遊學し、其説を精究して、和訓を下し、朱
- (末力〕
- 〓窩集行状曰、讀聖賢性理之書、思當世無善師、如竹上人曰、惺窩謂らく、四書
頭注
- 正龍寺問
- 得ニ就キ
- テ新註訓
- 文之點
柱
- 元和五年九月十二日
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- 五三〇
注記 (39)
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