『大日本史料』 2編 4 長保2年9月~5年12月 p.142

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少納言なり、, 言墓、在阿波國撫養郡里〓村、, 傳ふ、いつの比とかや、此墳を他に移さんとせしに、金光院といふ坊の住侶, といふ須磨の記といふ物なとは、やゝよにひろこりて、たれもまことゝ思, ろにはふむり侍る、されとも時うつり事さり、あととふゆかりもまれなる, 〔雍州府志〕, の夢に、一婦人來りて、うつゝなきあとのしるしを誰にかはとはれんなれ, にや、この墓所しる人なし、當寺のゑんきに清信女とある、これすなはち清, ひためる、これはたいみしき僞書なるをや、かゝるたくひ數しらすおほし、, なすらへて心すへし、, 中御門與春日通之間、萬里小路西南有清少納言所住之跡、今爲民家、清少納, 〔京童〕一誓願寺又云、清原のもとすけのむすめ清少納言も、このとこ, 〔閑田耕筆〕1讚岐象頭山の鐘樓の傍に石の誌有て、清少納言の古墳と, 蜑墓, 〔阿波志〕慶基〓墓, 清少納言宅地, 長保二年十二月十六日, 〓門上清少納言宅地, 爲清少納言墓、毎秋七月舞踏以歌、遶墓七周、其辭亦稚, 男狹磯墓、不爲所據、, 可聽、樋富方則嘗以爲, 在里浦、里浦舊或稱長里、允恭紀所謂長邑是也、土人以, 愛宕郡, 八古蹟門上, 阿波ノ蜑, 墓, 宅地, 讚岐象頭, 山ノ古墳, 墓, 長保二年十二月十六日, 一四二

割注

  • 爲清少納言墓、毎秋七月舞踏以歌、遶墓七周、其辭亦稚
  • 男狹磯墓、不爲所據、
  • 可聽、樋富方則嘗以爲
  • 在里浦、里浦舊或稱長里、允恭紀所謂長邑是也、土人以
  • 愛宕郡
  • 八古蹟門上

頭注

  • 阿波ノ蜑
  • 宅地
  • 讚岐象頭
  • 山ノ古墳

  • 長保二年十二月十六日

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  • 一四二

注記 (32)

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