『大日本史料』 2編 21 万寿元年12月~2年7月 p.261

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方にも似たる事あり、京嵯峨の釋迦堂に、牛の皮のまんたらあり、此牛に似たると, 八に委く載たり、其關寺草創の時分、彼天竺雪山の牛乳を持參して、護摩の用と, し、尤金鷄の香合に入て納たるなるへし、今此牛塔ある處の畔を〓坂といへは、又, なり、ケ樣の事は、佛法の方便論議なすに不及、中世兵亂のみきり、此地軍勢屯し, といへり、然は往古よりの關を置給ふの後なり、逢坂の關を始て置給ふは、桓武天, 時牛有て死したること縁記の通なるへし、件の古昔の牛乳塔の所以を以て、又其牛, なり、法華文句に、迦葉の家大富有九百九十九双牛金梨と載たり、牛のことは、何, を其地に埋、塔を立て、牛塔とはいひしなるへし、迦葉化現のことは、臣か不知處, 皇の御宇なれは、關寺も又其時分よりのことなるへし、牛塔のこと扶桑略記の二十, 臣按するに、寺門傳記補録にも、年代開祖等詳ならす、何の代何の人の創る處を不知, へし、後乳の字を略し、靈牛塔といひ、終には唯牛塔とのみいひ來る、或書に曰、牛堂, 據なきにあらす、其後關寺廢亡したるを、後一條院の御宇萬壽年中に中興し、又其, の石塔胴五尺、方圓笠口の徑八尺、, 萬壽二年五月十六日, 二六

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  • 二六

注記 (15)

  • 422,675,72,2123方にも似たる事あり、京嵯峨の釋迦堂に、牛の皮のまんたらあり、此牛に似たると
  • 1224,674,70,2118八に委く載たり、其關寺草創の時分、彼天竺雪山の牛乳を持參して、護摩の用と
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