『大日本史料』 2編 21 万寿元年12月~2年7月 p.262

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るは此事なるへし、無名抄の全文關の清水の條下に載す、, 〔近江名所圖會〕, て塚を掘崩す、其後はひさしく廢して、塔も倒れありけるを、元祿五壬申年、再興, ありて、又元のことくになれり、長明無名抄に、一丈はかりなる石の塔ありといへ, 長安寺、是關寺の跡也と云、, 關寺の事は, 牛塔, 淡海志に、此塔を霜牛塔、あるひは迦葉塔共いへり、, 關寺, 萬壽二年五月十六日, このこと尚下に辨するを見るへし、, 古の關寺は三井寺五別所近松寺の内也、近松寺は, 關寺・長安寺の前にあり、古圖には五, の礎ともおほしき大石なとあれとも、, 慶長の亂に廢して、今しるものすくなし、其塔中より掘出, 重の石塔なれとも、今は一重殘れり, 殊に大寺にて坊舍も數多ありし事古書に見へたり、, したる佛舍利とて、近松谷に有とそ、尚圖上に見るへし、, 江南之部, 此寺遊行派にて、東山法國寺の末寺也、本尊觀世音、但しいにしへ關寺の本尊, に鐘あれとも、其銘なし、, 塔につきて、榮花物語又更科日記を以て考ふるに、古の關寺といひし大伽藍は、近松寺の邊りより、, は五丈の彌勒にて、日本三大佛の一なり、則此寺に關寺の古圖あり、寺内に古, 或云、長安寺の名とするは誤りなるへし、さりとてそれとさすへき所もしるへからす、故に是を牛の, 逢坂の西の麓まての地なるへし、これをいかんとなれは、今西の〓丸の宮のうしろに廣き谷あり、これを彌勒たに, といふ、その五丈の像の舊地とは見へたり、されは其廢地をすへて關寺とはいふなるへし、後世其地へ庵をむす, ○伊勢參宮名所圖會同ジ、, ひ、思ひ〳〵に小町・〓丸なと所々多く立ならへ、いつれも關寺の地名をかりて、おのつから呼しむるならん、尚, 三井寺別所近松寺條下に見合てしるへし、淡海志に、關寺の鐘の銘あり、今其鐘の有所をしらす、關の清水の社地, 元祿五年ノ, 再興, 二六二

割注

  • このこと尚下に辨するを見るへし、
  • 古の關寺は三井寺五別所近松寺の内也、近松寺は
  • 關寺・長安寺の前にあり、古圖には五
  • の礎ともおほしき大石なとあれとも、
  • 慶長の亂に廢して、今しるものすくなし、其塔中より掘出
  • 重の石塔なれとも、今は一重殘れり
  • 殊に大寺にて坊舍も數多ありし事古書に見へたり、
  • したる佛舍利とて、近松谷に有とそ、尚圖上に見るへし、
  • 江南之部
  • 此寺遊行派にて、東山法國寺の末寺也、本尊觀世音、但しいにしへ關寺の本尊
  • に鐘あれとも、其銘なし、
  • 塔につきて、榮花物語又更科日記を以て考ふるに、古の關寺といひし大伽藍は、近松寺の邊りより、
  • は五丈の彌勒にて、日本三大佛の一なり、則此寺に關寺の古圖あり、寺内に古
  • 或云、長安寺の名とするは誤りなるへし、さりとてそれとさすへき所もしるへからす、故に是を牛の
  • 逢坂の西の麓まての地なるへし、これをいかんとなれは、今西の〓丸の宮のうしろに廣き谷あり、これを彌勒たに
  • といふ、その五丈の像の舊地とは見へたり、されは其廢地をすへて關寺とはいふなるへし、後世其地へ庵をむす
  • ○伊勢參宮名所圖會同ジ、
  • ひ、思ひ〳〵に小町・〓丸なと所々多く立ならへ、いつれも關寺の地名をかりて、おのつから呼しむるならん、尚
  • 三井寺別所近松寺條下に見合てしるへし、淡海志に、關寺の鐘の銘あり、今其鐘の有所をしらす、關の清水の社地

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  • 元祿五年ノ
  • 再興

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  • 二六二

注記 (32)

  • 1518,687,64,1442るは此事なるへし、無名抄の全文關の清水の條下に載す、
  • 1361,554,73,505〔近江名所圖會〕
  • 1772,692,68,2111て塚を掘崩す、其後はひさしく廢して、塔も倒れありけるを、元祿五壬申年、再興
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