『大日本史料』 2編 21 万寿元年12月~2年7月 p.259

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

らく、拾芥抄に、關寺は日本三大佛の其一寺にて、丈六の彌勒ありしと載侍り、もし, 寺の境まては、關寺の門前を左に見て、京より松本及ひ東にゆきたるとみゆ、いま關寺, 關寺なるへし、かるかゆへに、今の町の名あると見へたり、上の關明神の社より、近松, といふは往還路の傍なる小寺なり、臣一日關寺の地をみんために、件の地に巡覽す、逢, 地にあらさるものを、今土俗の關寺なりといふ事は、阿彌陀堂とて、はるかに後代の草, や縁記なとこれなきやといへは、寺僧かつて知らさるよしをいへり、ことはりかな、其, 堂なり、思ふに往古の關寺は、今の上關寺町・中關寺町・下關寺町より、西の山悉く是, 關寺或は世喜寺につくる、今土俗にいへる處の關寺のことにはあらす、今土俗の關寺, 坂、今の往還路の傍なる小寺なり、よつて寺號をとへは關寺といふ、臣寺僧に問て謂, 日始行、本尊、拾芥抄曰、日本三大佛者、南都東大寺大佛、河州智識寺大佛、, 牛塔、或記曰、牛堂石塔、胴五尺、方圓笠口徑八尺云云、, 額作世喜寺、法會、十卷書第三曰、世喜寺龍華會、後白河院保元三年戊寅四月十八, 〔近江國輿地志略〕, 近州關寺大佛、, 在志, 賀郡、, 志賀郡三, 今號太, 大縣, 平寺、, 八, 郡, 關寺ノ舊跡, 萬壽二年五月十六日, 二五九

割注

  • 在志
  • 賀郡、
  • 志賀郡三
  • 今號太
  • 大縣
  • 平寺、

頭注

  • 關寺ノ舊跡

  • 萬壽二年五月十六日

ノンブル

  • 二五九

注記 (25)

  • 929,564,76,2226らく、拾芥抄に、關寺は日本三大佛の其一寺にて、丈六の彌勒ありしと載侍り、もし
  • 276,567,78,2234寺の境まては、關寺の門前を左に見て、京より松本及ひ東にゆきたるとみゆ、いま關寺
  • 406,566,78,2234關寺なるへし、かるかゆへに、今の町の名あると見へたり、上の關明神の社より、近松
  • 1189,565,77,2233といふは往還路の傍なる小寺なり、臣一日關寺の地をみんために、件の地に巡覽す、逢
  • 664,567,79,2230地にあらさるものを、今土俗の關寺なりといふ事は、阿彌陀堂とて、はるかに後代の草
  • 798,567,78,2231や縁記なとこれなきやといへは、寺僧かつて知らさるよしをいへり、ことはりかな、其
  • 535,570,79,2228堂なり、思ふに往古の關寺は、今の上關寺町・中關寺町・下關寺町より、西の山悉く是
  • 1319,558,80,2236關寺或は世喜寺につくる、今土俗にいへる處の關寺のことにはあらす、今土俗の關寺
  • 1058,561,78,2235坂、今の往還路の傍なる小寺なり、よつて寺號をとへは關寺といふ、臣寺僧に問て謂
  • 1751,621,78,2024日始行、本尊、拾芥抄曰、日本三大佛者、南都東大寺大佛、河州智識寺大佛、
  • 1624,1290,73,1443牛塔、或記曰、牛堂石塔、胴五尺、方圓笠口徑八尺云云、
  • 1882,606,77,2177額作世喜寺、法會、十卷書第三曰、世喜寺龍華會、後白河院保元三年戊寅四月十八
  • 1455,544,80,576〔近江國輿地志略〕
  • 1618,697,56,359近州關寺大佛、
  • 1649,1099,43,89在志
  • 1605,1099,43,98賀郡、
  • 1455,1174,44,166志賀郡三
  • 1802,2665,44,122今號太
  • 1643,611,44,84大縣
  • 1758,2669,43,89平寺、
  • 1499,1176,40,38
  • 1600,611,40,45
  • 534,219,43,216關寺ノ舊跡
  • 171,641,46,389萬壽二年五月十六日
  • 193,2328,44,124二五九

類似アイテム