『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 3 p.95

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取へきの説は見えす、霞關、紫の一本に、櫻田の西といひ、或四谷大宗寺を霞關山とい, へからす、海遠きにもせよ、大河にはかならす津ある事うたかふへきにあらす、不見沼, 各その説異なり、みな俊明か愚按にまかせて推量の總説なりといへり、今按にいつれも, 玉の崎をさきの池なといふもあるにや、若又利根川につきての名あるや、埼玉の郡には, 海は遠しといへり、今案するに、是も今を以て古を量る説にて、きはめて海遠しといふ, いり戸堀兼とてあり、江戸砂子に牛込大坂の邊に在といふを用す、武藏國號名義五條、, ふ、此所也といひ、又は麻布霞山觀明院、或は霞山稻荷その所といふ、ともに證文なけ, とせるも據なし、堀兼井、寶永戊子の碑の圖をのす、堀兼井河越のうち三所あり、まつ, れとも麻布にせるを長とす、今案に、是はその地山丘によれるにより關のあるへき地シと, 向にわけなき事なり、脩志の人珊去すへし、, 見たるもの也、關をすゆる所必險阻にかきるへからす、美濃國不破關・攝津國須磨關に, 録して悉載たり、實に志料の根柢たるへし、但、近世武藏守と稱せる人をも擧たるは一, 淺間宮の下に在を眞といふへき歟、俗にせんけん堀兼といふ、その外二所ははけ下堀兼、, ても知へし、また案に、是書人物部、武藏守介掾目すへてむざしに關かる事は國史を抄, り、足立郡のうち大門といふ所より、岩付へ行道に見沼と云て大池あり、此池に付て埼, 堀兼井ノ碑ノ, 人物部ニ武藏, 國司ノ名ヲ擧, 圖, 霞關, グ國人, 別紀第八(武藏), 九五

頭注

  • 堀兼井ノ碑ノ
  • 人物部ニ武藏
  • 國司ノ名ヲ擧
  • 霞關
  • グ國人

  • 別紀第八(武藏)

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  • 九五

注記 (23)

  • 1005,751,64,2233取へきの説は見えす、霞關、紫の一本に、櫻田の西といひ、或四谷大宗寺を霞關山とい
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