『大日本史料』 9編 3 永正7年是歳-永正9年3月 p.221

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る計なりと云々, く送る、其次の年も民疫病にくるしみしかは、前のことく神輿を捧けて、京, 神輿をかさり、神泉苑に疫神を送りて、其次の年亦疫あり、故に去年のこと, にそむけり、兼倶はいひたきまゝの僞りを作りて、一家の言をなせしもの, 十代の前日良麻呂勅を奉して、京中の男女を牽ひ、六月七日と十四日とに, 尊を勸請したるにはあらす、彼神輿を宿せしまゝ、おのつから神所と成た, 師の男女はやしことをして神泉苑へ送りし、夫より年々六月疫神を送り, し歳毎に神輿を納めける、其堂もせはかりけるにや、昭宣公の御殿をまい, は、密家の業なり、何とて行ひけるにや、昔日神人も佛事をなせし故か、備後, 風土記に、武塔天神自速すさのをの尊なりとのたまひしよしあり、此風土, て證とするに足らすや侍らん、, 記は、延長年中の事なれは、天王を素盞雄尊に配せし説ある後の事也、誤り, 也、但しむかし疫神を送りしといふ事は、さも可有事にや。牛頭天王の修法, らせられしに、かしこに立て神輿を納め、祇園を精舍と號せし、仍て素盞嗚, 是を按するに、祇園の牛頭天王は、清和天皇貞觀中、天下疫病流行す、兼倶二, 此説二十二社注式, 佛者の祭る所也、後に混して祭る歟、, ト部家道饗の祭りをなす、牛頭天王は, 兼倶ノ僞, ノ批評, 作, 天野信景, 永正八年二月十九日, 二二一

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  • 佛者の祭る所也、後に混して祭る歟、
  • ト部家道饗の祭りをなす、牛頭天王は

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  • 兼倶ノ僞
  • ノ批評
  • 天野信景

  • 永正八年二月十九日

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  • 二二一

注記 (24)

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