『大日本史料』 2編 21 万寿元年12月~2年7月 p.263

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湖邊古塚, 一、扶桑略記云、昔關寺の本尊は五丈之彌勒、日本三大佛の其一也、彌勒堂を立時一牛, と云、今は大なる石塔倒ある、, 塔の下一反計下に流るゝ水を、關の小川と云、又此牛塔記菅原氏より書給ひ、行成卿, 一、牛塔塚長安寺の竹林の中に有、, 葉塔とも、古供蓮祭之、今度知者鮮也、長明無名抄に、關の清水の事尋とて、古き石, 〔東海道名所圖會〕, より筆跡にせ有と云、塔中に納置し佛舍利とて、今近松の谷に有、又云、塔の下に金, にて材木を委、山上迄引上後、此牛死す、告靈夢衆僧、因之築塚、云靈牛塔、或云迦, 難を埋故、塔の畔を難坂とも言傳ふ、慶長の亂に、大軍此山上に聚し時、石塔を掘萠, 世喜寺、, 〔淡海府志〕, 牛塔、, 萬壽二年五月十六日, 也、本尊彌勒の前にて屠ぬ、こゝに葬りて塔を立る、, 〓二井寺〓別院也、中頃惠之僧都もこゝに住給ふ、今時宗と成、本尊に阿彌陀佛を安す、, 下壇の地にあり、初め關寺建立の時、材石を運ふ大牛, (清水町), 〓尚の左の山手にあり、拾〓抄云、關寺本尊彌勒、忘賀郡によわ、に二所伽艦頁次辻ー, 四, 二六三

割注

  • 也、本尊彌勒の前にて屠ぬ、こゝに葬りて塔を立る、
  • 〓二井寺〓別院也、中頃惠之僧都もこゝに住給ふ、今時宗と成、本尊に阿彌陀佛を安す、
  • 下壇の地にあり、初め關寺建立の時、材石を運ふ大牛
  • (清水町)
  • 〓尚の左の山手にあり、拾〓抄云、關寺本尊彌勒、忘賀郡によわ、に二所伽艦頁次辻ー

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  • 二六三

注記 (21)

  • 1315,742,58,222湖邊古塚
  • 1072,576,83,2231一、扶桑略記云、昔關寺の本尊は五丈之彌勒、日本三大佛の其一也、彌勒堂を立時一牛
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