『大日本史料』 5編 13 仁治元年9月~同2年12月 p.464

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に乃ほりける、さて大はらの法花堂とて、今も、むろしの御庄のところ〳〵, 三まい料によせらまたるにて、つとめたえす、かの法花堂には、修明門院の, えたるに、今かく御石塔にて御座ます事を疑ひて、後花園院の御塔ならむ, の蓮華峯寺の御陵なとも、今き四角の堂なれと、土人の口稱には、昔のまゝ, る寶〓印塔ななに、あはせては、當所に御殘骨を納奉たまひし御塔の、かく, に八角堂と稱申せる、その御堂の内に、一丈許なる五輪の石塔を安給へ斗, は、この法華堂もさるさまに、御堂内にこの花藏塔を安給ひて、その塔中に, 御骨を納給ひ、さてその堂内の御塔をめくりて、法花行道すへく搆給ひし, えて、御骨所の料に、水無瀬殿の御所を壞渡して、法華堂を起立給ひし趣見, 御沙汰にて、故院りきて御心とゝめたりし水無瀬殿を渡されけりなと見, 大きなるへを理きある〓くも思はれす、故今よく〳〵考思ふに、後宇多院, といふ説あり、そも尤なる考なれと、かの山國なる本御陵すら、さゝやかな, ものにやあらむ、さるは此花藏塔中に納れるものゝ事を、史徴に載たる松, 能茂といひし北面の、入道して御ともにさふらひしそ、頸にかけ奉りて、都, 御塔説ノ, 後花園院, 辨, 仁治二年二月八日, 四六四

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  • 御塔説ノ
  • 後花園院

  • 仁治二年二月八日

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  • 四六四

注記 (19)

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