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院元と禪定院と號す、後來改て、金剛三昧院と名くと、取意、今所藏の古文書を以て是, 創造といへるは、堂塔興隆を云々して、二説共に過なきものなり、院跡考懷英、に、本, を考るに、覺智入道、禪定院を興建して、改めて金剛三昧院と名く、是故に、寛喜の頃, 立すと見へたり、今按するに、建暦の初め、二位禪尼、故右大將家御菩提の爲に、纔に, 房舍を創建し給ひ、實朝公薨後、重て覺智入道に命して、堂塔を創立せしめ給へるなる, す、然者編年記等に、建暦元年建立と云ふは、僧坊をさし、舊記に、大蓮房、貞應年中, まては、兩名參へ用しなり、其頃よりの御教書等數十通ありて、本院の始終を勘るに足, 經藏一宇、鐘樓一宇、鎭守社一字, 摩堂二宇、, るものなり、, 先亡出離之資糧、兼擬自身得〓之勝因、草創志趣大旨如此矣、, w已上舊記は、承久・貞應の際、秋田城介入道大蓮房、右大臣實朝公御菩提の爲に建, 〔金剛三昧院舊記〕, へし、如何と云ふに、覺智大蓮房建立棟宇目録に、, 金剛三昧院舊記」, 護, とありて、僧坊建立のこと見へ, 塔二基、, 安文堂二宇、伊〓、, へし、如何と云ふに、覺智大蓮房建立棟宇目録に、静安ウ堂二宇、〓法、塔二基、, 弘安四年文書、○貞應二年是歳, ノ條、及ビ弘安四年三月二十一, 參看、, 行法, 護摩、, 供料、, 行法、, ○紀, 供料、, 供料、, 弘安文, 伊, 日ノ條, 書、, 行法、, 寶治二年四月六日, 一三七
割注
- 弘安四年文書、○貞應二年是歳
- ノ條、及ビ弘安四年三月二十一
- 參看、
- 行法
- 護摩、
- 供料、
- 行法、
- ○紀
- 弘安文
- 伊
- 日ノ條
- 書、
柱
- 寶治二年四月六日
ノンブル
- 一三七
注記 (37)
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