『大日本史料』 5編 23 宝治元年10月~同年12月 p.240

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か、應保元年の比、山林幽栖の志に催されて、當山にたつね入られけるに、善峯寺僧, ひて、仁安年中に讓状をかきてそたてまつりける、法橋籠居の後、一堂を建立し、如, られけるにや、, 教賢引導によりて、此往生院を閑居の地とおもひさためられしかは、院主賢仁よろこ, とありしかとも、それはたゝ一夜の事なりけるに、この北尾に移住のはしめは、連峯, とをおそれて、魔界ひさしくその惱亂をいたしけるにや、されとも事理の對治の行を, 境にして、たゝ荊棘のみそ滋かりける、爰に觀性法橋とて、智行圓備の高僧ありける, 修せられしかは、妨障なかくのそこりける、いとめてたくこそ侍れ、つゐに嘉承二年, 法佛眼の曼陀羅并に釋迦・彌陀の像を安置して、つとめおこなはれけり、又一宇の房, 舍をたてゝ、靜房となつけてそすまれける、かくて卅年はかりをゝくりけるに、建久, 震烈すること、數十日におよひけり、凡夫解〓の要法、このところにひろまるへきこ, 源〓入滅のゝち、此往生院は止住の僧徒もなく、來入の賓客もまれなり、寂寞無人の, 三月廿九日、終焉おもひのことくして往生し給き、暦數をかそふるに百八歳にな, 亥、, 略ス、, ○繪, 丁, 阿彌陀ノ像, 建立シ釋迦, ト號ス, 觀性一堂ヲ, ヲ安置ス, 房舍ヲ靜房, 觀性住寺ス, 寶治元年十一月二十六日, 二四〇

割注

  • 亥、
  • 略ス、
  • ○繪

頭注

  • 阿彌陀ノ像
  • 建立シ釋迦
  • ト號ス
  • 觀性一堂ヲ
  • ヲ安置ス
  • 房舍ヲ靜房
  • 觀性住寺ス

  • 寶治元年十一月二十六日

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  • 二四〇

注記 (26)

  • 694,701,73,2173か、應保元年の比、山林幽栖の志に催されて、當山にたつね入られけるに、善峯寺僧
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