『大日本史料』 4編 4 建久3年3月~6年8月 p.392

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の勘當ゆるされし章に、古き歌を思ひつヾけて、, 仁治は、四條院の年號、實朝、頼家時代の人なり、其の子爲家卿、建治元年五月, 安八年八月出家、弘安は、後宇多院の年號、惟康時代の人なり、其の子爲世卿, 是は、ためよのきやうのよみし歌ぞかし云々、按ずるに、俊成卿は、元久元年, は、文保三年、續千載集奏覽、文保二年まで花園院、三年後醍醐院御代なり、爲, ふ詞を以て考ふれば、此の物語は、比叡山の僧の作としられたり、又、第七、母, 一日薨ず、建治は、後宇多院の年號、頼嗣、惟康時代の人なり、其の子爲氏卿、弘, 世卿は、曾我兄弟よりも遙に後の人なり、爲世卿の歌を古歌と記したるを, 十一月卅日薨ず、頼朝時代の人なり、其の子定家卿、仁治二年八月廿日薨ず、, もつて考ふるに、曾我物語は、室町殿の代に作りしなり、, おなじくば空に霞のせきもりて雲路の道をしばしとゝめん、, 室町時代, 徒ノ作, 延暦寺僧, ノ作, 建久四年五月二十八日, 三九二

頭注

  • 室町時代
  • 徒ノ作
  • 延暦寺僧
  • ノ作

  • 建久四年五月二十八日

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  • 三九二

注記 (17)

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