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ては御陵は大教院の巽にありとか云されは叶かたし、, 陵は、帥記治暦四年十二月廿七日の條に、今日荷前也、僕向後田邑云々、向仁, 王子村用水池の南、人家の南邊の竹林なり, 野にあり、字を天皇家といふ、是は今の仁和寺の西舊福王子村の畑中にあ, と、荒廢年久しき間に、他寺の領地となれるも多くて、昔の跡とは西によせ, たかるへし、, りて、北院と字せる地に阿迦井といふ字の在れる西、すこし南によりたる, 内大教院丑寅なと見えて、仁和寺の西大教院の良に在つる事知られたる, を、今在る仁和寺の伽藍は、寛永の比、舊地を尋て再建せられたりとはいへ, て建られたりと思はるれは、今の伽藍の在地をもて、古書の上をは論ひか, 地にて、うち見には、此喜多院の南にあたる如くおもはるれと、すへて字と, 和寺西山松下、再拜之後令燒幣云々と見え、西宮記に、後田邑云々小松在〓, 和寺西と見え、江次第には、仁和寺西大教院艮とみえ、拾芥抄には、在仁和寺, 〔諸陵要記〕十光孝天皇後田邑〕陵按、今山城國葛野郡花園村大字宇多, そも〳〵此山, と云へるを、さ, この説も、いと覺, 束なきこゝちす、, ○中, 略, ノ仁和寺, ヲ基準ト, 宇多野天, シテ御陵, 寛永再建, 皇家ハ即, 諭ズルヲ, チ御陵ナ, ノ位置ヲ, リトノ説, 得ズ, 仁和三年九月二日, 一四
割注
- この説も、いと覺
- 束なきこゝちす、
- ○中
- 略
頭注
- ノ仁和寺
- ヲ基準ト
- 宇多野天
- シテ御陵
- 寛永再建
- 皇家ハ即
- 諭ズルヲ
- チ御陵ナ
- ノ位置ヲ
- リトノ説
- 得ズ
柱
- 仁和三年九月二日
ノンブル
- 一四
注記 (33)
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