Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
閣寺の安民澤の池中に蛇の塔といへるを、御陵ならむといふ説あれと、如何あらむ、また山, と見え、編, 北隅にも小家あれと、此處は平地にて、寺後山といふへき地にあらされは、合さるへし、又金, き極みにそある、さて此御陵の事を、今大北山村在家より北方の田中に埃家とよへる小家, を、此御陵ならむといふ人あり、又同村在家の西側神宮寺といふ草堂の北隣百姓宅地の西, くは知られされと、その北山は葛野郡大北山村の邊の事なることは、昔この大北山に御座, ひ、小寺中なといひて、其寺の名も知られされは、何を便に尋奉るへき因もなきは、いと口惜, 所、返來云、寺後山吉所也、文高相共定申御墓所、舟岡東北方者, 三條院天皇の御骨を藏奉り給へりし御陵なり、今その御在所詳に知かたし、御堂殿記寛仁, 年集成に、五月十二日、葬船岡西邊、奉埋御骨於北山小寺中なと見えたるのみにて、いと委し, ましゝ女院を北山女院と申し、又北山御所なといへりしにて知られたり、さて寺後山とい, 里人云、百年前有一農呼甚兵衞者、開墾之地、號甚兵衛開、今其樹梅圃、相傳以爲御墓所、疑是, 〔山陵考〕三北山陵, 陵地矣、, 元年五月十二日の條に、早朝召文高、院御葬令進勘文、定行雜事、〓, 遣左大辨見可置御骨, 北の誤なるへし、, 今按るに、東北は西, 略, 中, 御所在ノ考, 陵ナリトス, 蛇の塔ヲ御, 北山陵, 御陵トナス, 甚兵衞開ヲ, ル説, 證, 〓, 寛仁元年五月十二日, 二四七
割注
- 北の誤なるへし、
- 今按るに、東北は西
- 略
- 中
頭注
- 御所在ノ考
- 陵ナリトス
- 蛇の塔ヲ御
- 北山陵
- 御陵トナス
- 甚兵衞開ヲ
- ル説
- 證
- 〓
柱
- 寛仁元年五月十二日
ノンブル
- 二四七
注記 (31)
- 263,610,66,2236閣寺の安民澤の池中に蛇の塔といへるを、御陵ならむといふ説あれと、如何あらむ、また山
- 1266,2600,54,255と見え、編
- 387,607,67,2240北隅にも小家あれと、此處は平地にて、寺後山といふへき地にあらされは、合さるへし、又金
- 634,609,67,2244き極みにそある、さて此御陵の事を、今大北山村在家より北方の田中に埃家とよへる小家
- 509,608,67,2240を、此御陵ならむといふ人あり、又同村在家の西側神宮寺といふ草堂の北隣百姓宅地の西
- 1006,608,68,2248くは知られされと、その北山は葛野郡大北山村の邊の事なることは、昔この大北山に御座
- 755,609,71,2241ひ、小寺中なといひて、其寺の名も知られされは、何を便に尋奉るへき因もなきは、いと口惜
- 1253,607,64,1507所、返來云、寺後山吉所也、文高相共定申御墓所、舟岡東北方者
- 1503,605,70,2248三條院天皇の御骨を藏奉り給へりし御陵なり、今その御在所詳に知かたし、御堂殿記寛仁
- 1130,605,66,2250年集成に、五月十二日、葬船岡西邊、奉埋御骨於北山小寺中なと見えたるのみにて、いと委し
- 883,616,66,2227ましゝ女院を北山女院と申し、又北山御所なといへりしにて知られたり、さて寺後山とい
- 1893,605,72,2244里人云、百年前有一農呼甚兵衞者、開墾之地、號甚兵衛開、今其樹梅圃、相傳以爲御墓所、疑是
- 1619,590,80,584〔山陵考〕三北山陵
- 1762,608,56,183陵地矣、
- 1376,609,65,1670元年五月十二日の條に、早朝召文高、院御葬令進勘文、定行雜事、〓
- 1386,2333,58,521遣左大辨見可置御骨
- 1245,2130,42,401北の誤なるへし、
- 1289,2136,43,441今按るに、東北は西
- 1369,2263,40,44略
- 1421,2264,34,43中
- 1410,238,42,213御所在ノ考
- 261,235,40,205陵ナリトス
- 304,237,41,212蛇の塔ヲ御
- 1643,238,42,124北山陵
- 1891,238,39,207御陵トナス
- 1932,237,43,205甚兵衞開ヲ
- 216,245,42,71ル説
- 1367,238,43,38證
- 1847,238,42,37〓
- 159,670,46,380寛仁元年五月十二日
- 171,2384,44,117二四七







