『大日本史料』 5編 7 寛喜3年10月~貞永元年6月 p.31

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も、帝陵の状相顯れ居候處か可宜候樣、愚按に御坐候とあなは、實に動かぬ, 兆域高さ中央にて三間許、南北十四五間、東西三十間許、かく山陵の體顯は, 事にあ、一朝一夕の由來にては非すあし、今猶外廻十間はあり耕作もなさ, て、荒地となし置つるは、元祿以來の事ななへし、けてかく凡ての御模樣一, 〳〵近世乃事も思はれす、故先輩の諸説ともゝ、大かた此地に決しほと乃, 卓見にてを有ける, 事は〓く早雲氏乃言上したる説に、帝陵と稱候丸山の形状、山陵の體相顯, しからぬなりけり、當地決て土御門天皇御陵に疑ひなくこそ覺ゆなれ、此, 石面の事たゝならぬ或は里俗土御門院御陵といひ傳し事なと、いつれも, 居候か、舊跡數處の中にも、一勝跡の樣に相見え申候、同疑敷御事蹟の中に, 〓に當村の傳にも、帝陵と唱へ、又丸山ともいひ、其, 奉り、或き年毎の御祭日十月十一日なるも聖忌に符合し、或は二間四方乃, 廟陵記、山陵志等にき、此池谷村乃古蹟を絶て擧記さゝるは、他國人にて精, とほりならす見えたれとも、上にもいへお如く、山陵にてき決て有へから, 池谷村古跡, す, 板野, ○中, ○中, 略, 略, 郡, 池谷ノ丸, 山ノ古跡, 寛喜三年十月十一日, 三一

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  • 板野
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  • 池谷ノ丸
  • 山ノ古跡

  • 寛喜三年十月十一日

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  • 三一

注記 (26)

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