『大日本史料』 1編 1 仁和 3年 8月~寛平3年12月 p.13

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この御陵を、仁和寺の西、大教院の艮に在りといへる、その大教院の跡は、福, ふこと見えて、此山陵の東邊と、北院の西築垣と近く相攝きたる趣に聞え, 右依宣旨、實檢如件、, 今案、件山陵四至、強不可被尋、只今度彼喜多院造作之間、爲西築垣小松山陵, 加實檢之處、全無破損、四至不分明之由、寺家同所申也、, 茶店の邊、またその前路の南の畑かけて、字を北院とよひて、北院の舊地な, 使右衞門權佐藤原朝臣實光, 之東邊、爲下人頗被掘破也、被修補件所者可宜歟、其由見參之次、奏聞了とい, 町餘北のかた、仁和寺伽藍の西のかた、八十八箇所山下向道の近長とよふ, たるを、今現在の地理に就て考ふるに、今福王子村の畑中なる御陵より一, らむと思はるゝを、其北院と、この御陵と北南に相對ひて、西東に相攝くへ, きよしなけれは、中右記に云へる趣に相叶はす、また江家次第、拾芥抄等に, 長治三年二月十三日諸陵寮官人代山末吉, 邑上陵, 但四至不分明之由、寺家所申也、, 現在ノ地, テノ考, イテノ考, 位置ニツ, 理ニツイ, 大教院ノ, 仁和三年九月二日, 一三

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  • 大教院ノ

  • 仁和三年九月二日

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  • 一三

注記 (23)

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