『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.737

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龍寺に葬るといふ、, 流岡部徳五郎某か譜にみ〓れ、, 久、猶いと〓なきをくして、船路より大坂に赴く、こ乃日風あらく波高く、, をしのひ、速に參りたる兩人か勇を感し、〓かて東照宮に仰ありしかは、, めされそ台徳院殿の御乳母すなり、廩米三百俵をむあひ、大姥乃局と稱, 大坂にいたり、たゝちに營に乃ほりて太閤に〓す、太閤にの海路の艱難, 舟師等術をうしなふにいたぬといへとも、自若としておとろかす、遂に, す、そのゝち廩米を釆地にあらためられ、加恩あり、武藏國乃内ゆしし、す, 寺を開基し、こふて釆地の内五十石を寄附し、御朱印を下さる、乃ちこの, へそ二千石をたまふ、乃ち池上乃本門寺に塔を建、又神田にをいて、幸龍, 殿につのへたてまつり、岡部乃局と稱し、廩米三百俵をたまふ、, するのふち、駿河國岡部に居住す、時に豐臣太閤乃めしに應し、善次郎重, 女子上杉謙信乃舊臣大石豐後長次か妻となり、長次死するの後、台徳院, 寺を淺草にうす、慶長十八年正月二十六日死す、年八十九、法名日幸、幸, 杲主水、母大姥局乃遺跡をたまひ、別に家を興し岡部を稱す、事は爲憲, ○柳營婦女傳一ハ、大姥局二六, 子アル由記シタル外異事ナシ, アルハ、コノ人ナルベシ、, 慶長年録二、河村善次郎, 幸龍寺建, 沈勇, 池上本門, 建ツ, 寺二塔ヲ, 大姥局ノ, 法名, 立, 慶長十八年正月二十六日, 七三七

割注

  • ○柳營婦女傳一ハ、大姥局二六
  • 子アル由記シタル外異事ナシ
  • アルハ、コノ人ナルベシ、
  • 慶長年録二、河村善次郎

頭注

  • 幸龍寺建
  • 沈勇
  • 池上本門
  • 建ツ
  • 寺二塔ヲ
  • 大姥局ノ
  • 法名

  • 慶長十八年正月二十六日

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  • 七三七

注記 (29)

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