『大日本史料』 5編 34 建長2年11月~同年雑載 p.259

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して建長土寸領の内、永三貫文を充つ、, なる事知へし、土寸領五石の御朱印は天正十九年十一月賜へり、, 寺穗、氏迚E堆与, り、是に據れは、當寸は則心綱の起立する所にて、後江戸に移りしかと、舊地にも一寸相, 金剛土寸大聖山と號す、〓濟宗、, として村内に葬拜す、, 〔新編相模國風土記稿〕, とす、其後江戸下野入道心佛、, 續して今に至れるなるへし、但建久二年の草創なれは、行勇卒後十年に當れり、勸〓開山, にて、建長二二年波多野中務忠綱、, 是に因て當土寸を草創し、行勇, 金剛寸はもと濟宗, 册用山、實朝, 寸を小日向に移して造立せし由、彼土寸傳に見えた, を用基とせりと云、按するに、江戸小日向惠日山, 〓實朝菩提の〓、相州波多野庄田原村に建立して、退耕行係丹を開山とし、圓朝を開基, とム者、其自級を持來り、僧退耕行勇を導師, 本尊釋迦、土寸傳に、承久元年正月將軍で朝討れし, 〓建斯記〕, の料とす, 或は經に作る、按するに、忌綱は波, するに、高憎傳には七月五日卒と記せり, 多野次郎義通の次子にて小次郎と稱し, 仁治二年七月十五日卒、普應國師と諡す、按, 寸殿實相大禪定門、木像を安置す, 五十二村里部大住郡十一, 正月廿七日鶴岡にて薨す、法諡金剛, 波多野莊東田原村, 年八月十一日死、法名虚周昌林、位牌を置, 寺山村民善右衞門と云者、武常晴が, 二浦介と稱し、三浦郡武村の人にて、承久三, 墳基下條, 子孫にて、水田二段を當寸に寄て、, 今曹, に任す, に載す, 後中務丞, -寺末, 事〓年代詳, 鎌倉建長, ならず, 實〓か茶湯, の料とす, 〓, 波多野心〓, 金剛寺ヲ建, 立ス, 建長二年雜載佛〓, 二五九

割注

  • 或は經に作る、按するに、忌綱は波
  • するに、高憎傳には七月五日卒と記せり
  • 多野次郎義通の次子にて小次郎と稱し
  • 仁治二年七月十五日卒、普應國師と諡す、按
  • 寸殿實相大禪定門、木像を安置す
  • 五十二村里部大住郡十一
  • 正月廿七日鶴岡にて薨す、法諡金剛
  • 波多野莊東田原村
  • 年八月十一日死、法名虚周昌林、位牌を置
  • 寺山村民善右衞門と云者、武常晴が
  • 二浦介と稱し、三浦郡武村の人にて、承久三
  • 墳基下條
  • 子孫にて、水田二段を當寸に寄て、
  • 今曹
  • に任す
  • に載す
  • 後中務丞
  • -寺末
  • 事〓年代詳
  • 鎌倉建長
  • ならず
  • 實〓か茶湯
  • の料とす

頭注

  • 波多野心〓
  • 金剛寺ヲ建
  • 立ス

  • 建長二年雜載佛〓

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  • 二五九

注記 (49)

  • 993,298,29,475して建長土寸領の内、永三貫文を充つ、
  • 299,297,30,795なる事知へし、土寸領五石の御朱印は天正十九年十一月賜へり、
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  • 742,297,28,243として村内に葬拜す、
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  • 363,294,29,1152續して今に至れるなるへし、但建久二年の草創なれは、行勇卒後十年に當れり、勸〓開山
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