『大日本史料』 1編 1 仁和 3年 8月~寛平3年12月 p.888

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山王權現社唐院西北の隅にあり, 何國に往んや、唯願はくは、師吾をして出家受戒し、清淨の女質となし、山に, 迎へ住せしめ、其後、師一宇を伽藍の傍に建て、模刻尼形、高八尺神像を以て, 歸戒を受持し、佛の聽許を蒙り、諸國の土に往遍し、僧珈藍の傍に在て、佛法, 座像一尺三寸七分、佛工印覺作之、愛太子の像長七寸七分、智證大師の作、貞, 此處は結界の地なり、神善神たりといへとも、尚これ女身なり、請山下に居, て、吾山を擁護せよ、時に神重ねていへらく、我女身なれ共、已に佛所に於て, 教法を護持すへし、師應て曰神の來こと、實に是嘉するにたれり、然れとも、, を衞護す、況此處は、慈尊出興の淨刹、二宗弘傳の靈場なり、豈こゝをさりて, 其中に安す、又五歳の所見の天女の像、高四尺八寸なるを作れり、讚岐國金, 時に母神山下に來現し、師に見て、前契を不違渡來れり、我寺内に居て師の, 護法善神社北側、社南向、善神の像長四尺八寸壹分智證大師の作なり、又, 棲事を得せしめよ、師於是敢不沮、即時度之爲尼形、授るに八齋戒を以てし、, 觀元年、大師社を建, 倉寺に送り安す、金倉寺は大師誕生の地なり、後俗當寺の善神を呼て、三井, 師歸朝の後、奉詔當寺を興隆し、顯密二宗を〓揚す、, ○中, ○中, 略, 略, 護法善神, 山王權現, 社, 社, 寛平三年十月二十九日, 八八八

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  • ○中

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  • 護法善神
  • 山王權現

  • 寛平三年十月二十九日

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  • 八八八

注記 (26)

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