『大日本史料』 5編 2 貞応2年6月~嘉禄元年12月 p.160

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始て旅の哀をしりぬ, 四月四日の曉、都出し朝より雨にあひて、勢田の, 里の波に棹さゝす、乘馬あらましにはす、いまた關山千程の雲にむちうた, 雲路をうつむ、既に斜陽景くれて、暗雨しきりに笠にかゝる、袖をしほりて、, して行、關守の門をたにかへりみれは、金剛力士忿怒のいかる眼を驚し、勢, す、今便人の芳縁に乘して、俄に獨身の遠行を企り、貞應二年卯月の上旬五, ゝれは九重の寳塔は北のかたにかくれ、又相坂を下に、松をともして過行, に、都を遙にへたてぬ、前途林幽なる、纔に青〓梢に見ゆ、後路山さかりて白, は、四宮河原のわたりはしのゝめに通りぬ、小關を打越て、大津のうらをさ, あへすして、いつまたあはた口の堀道を南にかいたをりて、あふ坂山にか, 更に、都を出て一期に旅立、昨日はすみわひて、いとはしかりし宿なれとも, 田の橋を東に渡れは、白浪瀧落て流〓となかれ、又身をひやす湖上にふね, 今立わかるれは、名殘おしく覺えて、しはしやすらへとも、鐘のこゑ明行は, をのそめは、心興にのり、野庭に馬をいさめて、手に鞭をかなつ、漸に行ほと, 舌の端唇して、いくはくの日をか送るや、心のふね洋爲に漕、いまた海道万, 橋のこなたにしはらくとまりて、あましたくしてゆく、けふあすともしら, ○中, 略, 堀道, 相坂山, 大津, 旅宿ノ有, 粟田口ノ, 四宮河原, 京ヨリ鎌, 倉ニ向フ, 勢田ノ橋, 樣, 貞應二年雜載, 一六〇

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  • ○中

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  • 堀道
  • 相坂山
  • 大津
  • 旅宿ノ有
  • 粟田口ノ
  • 四宮河原
  • 京ヨリ鎌
  • 倉ニ向フ
  • 勢田ノ橋

  • 貞應二年雜載

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  • 一六〇

注記 (30)

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