『大日本史料』 5編 7 寛喜3年10月~貞永元年6月 p.47

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たし、姑く二説を載せて、後學の考へをまつへし、, 幕府、源頼仲ヲ以テ、攝津田尻莊地頭職トナス、, 〔古畫備考, 頼經將軍判物, 眼爲行筆、, 説とも云けちりたき歟、されと江戸志に、爲久の男といへる、是もまた時, 能勢判官代太郎頼仲拜受、同惣右衞門頼廣書上、, 按ふに爲行を、邦隆の孫行長の子といへるはいかゝあらん、但し分脈に、, 代叶ひて、名字なともよしありけなれは、これはた僻説とも思ひ決めり, 邦隆の子孫を載さすといへとも、時代なとはよく叶ひたれは、むけの僻, 下攝津國能勢郡内田尻庄住人, 六孫王御影懸幅、裏書云、鎭守府將軍源經基公御影一幅、永正十一年甲戌三, 可早以源頼仲爲地頭職事, 月二十一日、此影破損之間、仰表背師玄泉子、修復畢、大法師清澄季行、宅磨法, 〔書上古文書〕, 宅磨爲行, ○下, 宅、磨氏, 三十二, 略, 寛喜三年十月十九日, 四七

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  • ○下
  • 宅、磨氏
  • 三十二

  • 寛喜三年十月十九日

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  • 四七

注記 (22)

  • 1418,709,64,1419たし、姑く二説を載せて、後學の考へをまつへし、
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