『大日本史料』 5編 7 寛喜3年10月~貞永元年6月 p.57

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

〔皇帝紀抄〓, 次參青圍御方、藏人定宗云、今日陪膳都以及闕如了之, 〔公卿補任〕十七十月廿八日、立秀仁親王爲太子、, 内大臣正二位藤實氏、卅八十月廿八日爲皇太子傅、, 降誕、あなめてたとて、やかて十月廿八日に太子に立せ給、, せ給ひしそかし、れいの人のくちさかなさは、かの承久の廢帝の生れさせ, 〔増鏡〕, 二月、后の宮の御はらに一の御子いてき給へりしかは、やかて太子にたゝ, 由相示、仍勤陪膳、其儀如當、供了之後不起座、所存略儀也、次歸蘿, 給ふとひとしく、坊に居給へりしは、いとふようなりしをなといふめり、〓, 〔五代帝王物語〕さて中宮は御懷姙ありて、寛喜三年二月十二日、四條院御, こその, 權大納言正二位同家嗣、卅五十月廿八日兼春宮大夫、立丗, 朝臣、帶刀名薄事申入了、無其輩之間、難被進之由、可披露之旨被仰下、數刻祗, ことしもはかなくくれて、貞永元年になりぬ, 候之後、黄昏歸蕚、, 略, 秀仁親王四月廿八日立太子、, 十六日、戊戌、天晴、, 鷹司院御方, 降誕, 去二月, 皇太子, ○中, ○中, 參青闡勤御膳陪膳事, 略, 略, 八後堀河〓, ち衣, 十六日、戊戌、天晴、, ふ三, 大夫, 傳, 寛喜三年十月二十八日, 五七

割注

  • 降誕
  • 去二月
  • 皇太子
  • ○中
  • 參青闡勤御膳陪膳事
  • 八後堀河〓
  • ち衣
  • 十六日、戊戌、天晴、
  • ふ三

頭注

  • 大夫

  • 寛喜三年十月二十八日

ノンブル

  • 五七

注記 (36)

  • 1404,574,87,348〔皇帝紀抄〓
  • 1663,1267,66,1559次參青圍御方、藏人定宗云、今日陪膳都以及闕如了之
  • 474,577,89,1560〔公卿補任〕十七十月廿八日、立秀仁親王爲太子、
  • 372,630,77,1576内大臣正二位藤實氏、卅八十月廿八日爲皇太子傅、
  • 1189,620,71,1723降誕、あなめてたとて、やかて十月廿八日に太子に立せ給、
  • 837,624,73,2205せ給ひしそかし、れいの人のくちさかなさは、かの承久の廢帝の生れさせ
  • 1057,576,83,195〔増鏡〕
  • 955,626,70,2199二月、后の宮の御はらに一の御子いてき給へりしかは、やかて太子にたゝ
  • 1540,615,72,1867由相示、仍勤陪膳、其儀如當、供了之後不起座、所存略儀也、次歸蘿
  • 718,616,91,2210給ふとひとしく、坊に居給へりしは、いとふようなりしをなといふめり、〓
  • 1289,565,93,2272〔五代帝王物語〕さて中宮は御懷姙ありて、寛喜三年二月十二日、四條院御
  • 1095,2650,44,180こその
  • 256,629,85,1687權大納言正二位同家嗣、卅五十月廿八日兼春宮大夫、立丗
  • 1887,618,74,2209朝臣、帶刀名薄事申入了、無其輩之間、難被進之由、可披露之旨被仰下、數刻祗
  • 1082,1119,59,1358ことしもはかなくくれて、貞永元年になりぬ
  • 1773,611,59,500候之後、黄昏歸蕚、
  • 633,631,37,38
  • 1430,1452,65,960秀仁親王四月廿八日立太子、
  • 1655,607,63,503十六日、戊戌、天晴、
  • 1950,755,43,214鷹司院御方
  • 489,2146,43,117降誕
  • 533,2148,41,180去二月
  • 1411,983,43,185皇太子
  • 1117,2504,40,110○中
  • 1692,1130,39,106○中
  • 1714,610,46,387參青闡勤御膳陪膳事
  • 1071,2503,40,38
  • 1647,1126,39,41
  • 1456,987,43,368八後堀河〓
  • 1058,922,42,108ち衣
  • 1655,607,63,503十六日、戊戌、天晴、
  • 1064,849,76,37ふ三
  • 253,271,43,83大夫
  • 385,271,41,38
  • 155,702,46,444寛喜三年十月二十八日
  • 168,2430,43,82五七

類似アイテム