Loading…
要素
頭注ノンブル
OCR テキスト
て、天艸一郡を分領してありし中に、志岐、栖本はいかなる家なりしにやさ, 道は、文永、弘安の蒙古合戰に高名したりし、天艸の大矢野十郎種保か一族, 佐伊津き、天艸郡御領組に才津村あり、貞弘はそこの地頭にてありしなる, 勢に攻られて、力をよはて降參し、剃髮して紹巴か弟子とれりて、連歌にて, にて、當時本砥を領してありしものなるへし、天正の比、志岐隣泉、大矢野民, 名を得たる紹它入道等も、此幸蓮入道か後にてそありけん、木山系圖を見, へたれは、こゝにはまつ其あとかたをいひおく〓になん、天艸太夫三郎入, されはたしのれらす、佐伊津小二郎貞弘は、姓氏父祖さたかならず、名字の, へし、日田、財津の事は、なを後の日田永敏か事をいはんおりくはしくいふ, とは、北條氏の執權の時をいふなり、木山太郎左衞門入道幸蓮は、後に阿蘇, ケ庄木山城に居住してありしか、其子左近大夫惟久か時、天正十三年薩摩, 家の家人に、弘治永祿の間木山備後守惟昌、其子同名右馬助惟貞ありて、六, 卿殿の御子おはせしとみえたれともさたかならす、猶考ふべし、關東の時, 部太輔、栖本八郎、天艸伊豆守、上津浦上總介等を島の五人衆とて、此五人に, たかならされとも、栖本は菊池の支流にてはなかりしにや、八郎か家老を、, 道幸蓮, 佐伊津小, 三郎入道, 天草太夫, 左衞門入, 二郎貞弘, 木山太郎, 南朝正平二年北朝貞和三年九月二十日, 八九二
頭注
- 道幸蓮
- 佐伊津小
- 三郎入道
- 天草太夫
- 左衞門入
- 二郎貞弘
- 木山太郎
柱
- 南朝正平二年北朝貞和三年九月二十日
ノンブル
- 八九二
注記 (24)
- 256,664,61,2209て、天艸一郡を分領してありし中に、志岐、栖本はいかなる家なりしにやさ
- 608,657,60,2216道は、文永、弘安の蒙古合戰に高名したりし、天艸の大矢野十郎種保か一族
- 958,655,60,2213佐伊津き、天艸郡御領組に才津村あり、貞弘はそこの地頭にてありしなる
- 1309,653,57,2215勢に攻られて、力をよはて降參し、剃髮して紹巴か弟子とれりて、連歌にて
- 492,658,60,2217にて、當時本砥を領してありしものなるへし、天正の比、志岐隣泉、大矢野民
- 1192,654,57,2219名を得たる紹它入道等も、此幸蓮入道か後にてそありけん、木山系圖を見
- 727,673,58,2196へたれは、こゝにはまつ其あとかたをいひおく〓になん、天艸太夫三郎入
- 1074,660,60,2202されはたしのれらす、佐伊津小二郎貞弘は、姓氏父祖さたかならず、名字の
- 843,676,56,2190へし、日田、財津の事は、なを後の日田永敏か事をいはんおりくはしくいふ
- 1660,661,59,2210とは、北條氏の執權の時をいふなり、木山太郎左衞門入道幸蓮は、後に阿蘇
- 1425,662,58,2210ケ庄木山城に居住してありしか、其子左近大夫惟久か時、天正十三年薩摩
- 1542,655,58,2215家の家人に、弘治永祿の間木山備後守惟昌、其子同名右馬助惟貞ありて、六
- 1776,656,60,2209卿殿の御子おはせしとみえたれともさたかならす、猶考ふべし、關東の時
- 374,657,62,2216部太輔、栖本八郎、天艸伊豆守、上津浦上總介等を島の五人衆とて、此五人に
- 140,668,64,2217たかならされとも、栖本は菊池の支流にてはなかりしにや、八郎か家老を、
- 1617,290,43,127道幸蓮
- 1105,290,41,169佐伊津小
- 707,295,42,164三郎入道
- 753,292,42,167天草太夫
- 1663,292,42,163左衞門入
- 1060,296,44,162二郎貞弘
- 1707,292,42,164木山太郎
- 1892,722,46,773南朝正平二年北朝貞和三年九月二十日
- 1894,2456,44,116八九二







