『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.526

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たとりて、, に、細川藤孝の爲に〓されたり、此時藤孝は宮津八幡山に居城せらる、上宮, 有けおなり、則此所を始の御前村名付る也、, 禪曹洞宗、越前佐々布村瑞洞院乃末寺なり、, 世のうさは大野〻里の忍ふ艸忍ふに濡るゝ袖そかなしき, 敷せ、〓ゝへ取出し、賑々敷事都に殊ならず、境内に明智日向守光秀石塔、一, 〔宮津記〕盛林寺, の習ひとて、〓酒門内に入る事をゆるさゝれは、多くは門外乃芝野に氈を, 悟を定、玄蕃頭のおわします峯山の城を尋ふんと、難所を越、大野之里に, 色五郎滿信石塔あり、此五郎は一色左京太夫詮範五代乃孫なり、天正年中, 當寺内に櫻乃大木一本あり、四方へ枝ふりて、庭上一面に這こり、無類の名, 詠して峯山へ行て、かくと案内申入られけれ共、田邊の聞へをはゝかり、, 木なり、花の頃は宮津より群集さり、詩歌糸竹の巷と〓れり、去なから禪師, 主居しれ伯耆守、澤田出羽守、門外ゟ歸へしけれは、長岡迄歸へりて自害, 津城主小倉播磨守と云ふ、共に是等を往昔宮津城と云ふ, 天正十年九月八日, 上宮津村にあり、城, 下より廿餘町南、, 義有室長, 岡氏自殺, ストノ説, 五二六

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  • 上宮津村にあり、城
  • 下より廿餘町南、

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  • 義有室長
  • 岡氏自殺
  • ストノ説

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  • 五二六

注記 (22)

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