『大日本史料』 7編 7 応永12年正月~同13年5月 p.428

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ひける、, て念佛利盆し給へとて、人々供養をさゝけしかは、此所にて日をかさね、道, の汚穢を許し給ふ御札を受奉らむと、貴賤群集をなし侍れは、聖札をあた, る、此所に一寺を建立して、神護永法寺と名付、上足の内阿彌陀佛を殘し置, なりしかは、萬人聖の十念を請、汚穢をゆるし給ふ神印を受てそとをりけ, へ來り給へとて、人々尊敬し奉り、關寺のかたはらに小庵を建て參らせし, に、人々あつまり、大神宮の御神託を請られし聖そとて、瞻仰して、暫此所に, るし給ふ御札を出し給ふに、門前市をそなしにける、かくて聖は京都へ登, り給ふ、山科の天智天皇の山陵にて、日中の行法を勤、それより都へそ入給, 路のちまたにて、六時の行法を修せられけるに、初春より參宮の道俗布引, 永徳二年の秋、關の地藏堂にて、日中の行事を勤給ふに、參詣の諸人、大神宮, 々の萬人〓仰する事いふ計なし、阿野の津といふ所にて宿をとられける, かは、則正福寺と名付、此庵室にて暫念佛利盆し給ふ、此所にても汚穢をゆ, へて過行給ふに、大津打出の濱につかれしかは、大神宮加護の聖こそ此所, 廿一, 近江逢坂, 行法ヲ勤, 日中行事, 永法寺ヲ, ノ山陵ニ, 倉ム, ニ正福寺, 地藏堂ニ, ヲ創ム, 寶藏院ノ, テ日中ノ, 山城山科, 津ニ神護, ヲ勤ム, 伊勢阿濃, 法ヲ修ス, 應永十二年九月十一日, 四二八

頭注

  • 近江逢坂
  • 行法ヲ勤
  • 日中行事
  • 永法寺ヲ
  • ノ山陵ニ
  • 倉ム
  • ニ正福寺
  • 地藏堂ニ
  • ヲ創ム
  • 寶藏院ノ
  • テ日中ノ
  • 山城山科
  • 津ニ神護
  • ヲ勤ム
  • 伊勢阿濃
  • 法ヲ修ス

  • 應永十二年九月十一日

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  • 四二八

注記 (33)

  • 412,724,47,208ひける、
  • 1655,727,63,2178て念佛利盆し給へとて、人々供養をさゝけしかは、此所にて日をかさね、道
  • 1086,724,61,2176の汚穢を許し給ふ御札を受奉らむと、貴賤群集をなし侍れは、聖札をあた
  • 1312,723,62,2183る、此所に一寺を建立して、神護永法寺と名付、上足の内阿彌陀佛を殘し置
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