『大日本史料』 6編 32 応安3年3月~応安3年12月 p.299

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あたへたまふ、上人ありかたく泪をうかへて、いかなるうへ人にて渡らせ給ふとたつね, やもんの洲崎は今當寺の山際より源太夫の神の南をいへり、昔年源太夫の神釣を垂れ給, 人御厨子に納め奉り給ふ、然所寛永年中のころより、諸人結縁のため開帳、いまも如此, し給ひ、當社太神宮へ法施奉り給ふ所に、格子戸をたゝく音す、誰なるらんとて、半部を, たまへは、我は名もなきものなりとて歸り給ふゆへ、御跡をしたひ〳〵て、海藏門の内, み給ひぬ、其ころ道俗男女群集して詣ふて來る中に、或は五辛をふくし、あるひは心, もとのことく埋め給ふに、しはらくありて山際に靈泉涌出る、其清き事水晶を見るかこ, ふ所といひて、道場のひかしの隅を築のこしぬ、いま蓮池の所なりといへり、靈龜井, 開き揚て見給へは、夢の中の貴人彌陀の尊像をもりきたらせ給ひ、本尊に仰くへしとて, 拜殿の前にて見失ひ奉り給ふ、それより當社太神宮の御神作にうたかひなしとてたうと, すてに其年もくれて、明る正月朔日、鷄鳴より上人寺僧御弟子あまた伴ひ、彌陀經讀誦, 穢の者あれは、忽絶入物くるはしくなりけれは、是當社御神作の御佛なれはとて、上, とく、潺々滔々と流れ出て、いかなる日照にも盡る事なし、いま道場に用る所の井なり、, 大黒の二躰、まとかなるさいはいといへる心にて、圓福寺と改めたまふと云々、又ひし, 南朝建徳元年北朝應安三年九月二十八日, 二九九

  • 南朝建徳元年北朝應安三年九月二十八日

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  • 二九九

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