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高倉第三の御子、後鳥羽同胞の御兄、後白河の御えらひにもれ給ひし御事, なり、承久に事ありて、後鳥羽の御ながれの外、此御子ならては皇胤ましま, 申て、世をしらせたまふ、追號の例は、文武の御父草壁の太子を、長岡天皇と, さす、依て此孫王を天位につけたてまつり、入道親王尊號ありて、太上皇と, 申、淡路の帝の御父舍人の親王を、盡敬天皇と申、光仁の御父施基の王子を、, 三の子、御母は北白河院藤原の陳子、入道中納言基家の女なり、入道親王は, 田原天皇と申、早良の廢太子は、怨靈をやすめられんとて、崇道天皇の號を, はらく政をしらせ給ひしか、二十一歳にて、世をはやくしおまし〳〵き、, をくらる、院號ありしことは、小一條院そましける、此天皇辛巳の年即位、壬, 午に改元、天下を治め給ふ事十一年、太子にゆつりて尊號れいのことし、し, 年十二一即位、同四正三元服、十一、貞應元十一廿三大嘗會、貞永元十四禪, 建暦二三十八降誕、承久三七九踐祚, 〔本朝皇胤紹運録〕, 後高倉院, 後堀河院, 文暦元年八月六日, ・十、依天下擾亂、爲關東沙汰有立王, 第八十五, 及父王尊號事、先之入僧正仁慶室、, 母北白河院、基家卿女, 諱茂仁、治十一年、, 尊號之始、又自親王直院號初例、是依茂仁王踐祚也、, 二品、守貞親王、承久三八十六爲太上天皇、出家之後, 後堀河院, 僧正仁慶, ノ許ニ御, 御系統, 入室アラ, セラル, 文暦元年八月六日, 六一九
割注
- ・十、依天下擾亂、爲關東沙汰有立王
- 第八十五
- 及父王尊號事、先之入僧正仁慶室、
- 母北白河院、基家卿女
- 諱茂仁、治十一年、
- 尊號之始、又自親王直院號初例、是依茂仁王踐祚也、
- 二品、守貞親王、承久三八十六爲太上天皇、出家之後
- 後堀河院
頭注
- 僧正仁慶
- ノ許ニ御
- 御系統
- 入室アラ
- セラル
柱
- 文暦元年八月六日
ノンブル
- 六一九
注記 (31)
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